高見知英のかいはつにっし(β)

高見知英のアプリケーション開発日誌 のほか、地域活動などの活動報告ブログ。

子どもにこそオンラインは必要なんじゃないか

今回はこちらの話し。

stand.fm

年初に行った磯子七福神めぐりの道中に、子ども向けのおはなし会イベントのチラシを見かけました。

内容としてはすごく単純なもので、どこかの自治会館に集まってちょっと遊んだり、お話をしましょうというイベントです。

ただ、やはりこのご時世もあって、距離を離しましょうとか、会話は少なめに(おはなし会なのに!)しましょうとか、いろいろな制限がかかっていて、仕方がないとはいえ大変そうだなぁと思っていました。

オンラインで話せないか?

これを見てこういうのはオンラインでやればいいのになと思っていました。

昔オンライン公園というものも聞きましたが、そんな感じで。

オンラインの場で今やっていることの話をしたり、作ったものを見せたり、一緒にゲームとかもありですかね。

100%オフラインの場で出会うことの代わりになるというわけではないですが、オンラインだったらそんな制約はない

もちろんできないことはたくさんあるけど、逆にできるようになることもたくさんあるわけで。

誰かと話す。その時の選択肢がオフライン以外にもあるよっていうのは、もっと自治体とかそういうようなところでフィーチャーしてもいいんじゃないかな、と思いました。

選択肢が増えない

これについては、先日のSBCast.でも話題になっていましたが、子どもがなにかやりたいときにとれる選択肢は、少なくとも大人のそれに比べてかなり少ない

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大人が大人と話す場ってオンラインにはたくさんある。

地域の交流会もなんだかんだ言ってオンライン化しているところはあるし、ハッカー飯とかバーチャルランチクラブなどのようにオンラインで知らないだれかと話すような場だってたくさんあります。

もちろん何の工夫もなしに子どもがオンラインに出て行くのはそれはそれで危険かもしれない。

でもだからと言ってオンラインに出る道を塞いでしまうのは、子どもにとって大きな機会損失なのではないか

今の子どもはデジタルなものとの親和性が高いとはいいますが、活用の選択肢は案外少なくなりがちなのかもと思いました。

学生が外の世界と接する機会

そのほかにも、地域の人を巻き込んだ討論会を開くのに、学校単位でイベントを開かなきゃいけなかったり、学生って大人と話すのすごく大変なんだな と感じることがあります。

例えば学校のクラス単位とか、自治体単位とか。

そういうような環境で大人の監督のもと、オンラインで誰かと話す機会を作るっていうのはできないものだろうか?

オンラインで出会うからこその安全

先日は中学校でプログラミングの授業をしてきました。

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こちらのプログラムは、学生が地域の人にいろいろ教わろうというようなコンセプトのプログラムで、地域の色々な特技を持っている人たちを集めて、学生さんはそれらのうち希望したコースで授業を受けるというものでした*1

今回はそういうプログラムにわたしが手を上げることで中学校で活動をするという機会を得たわけですが、それ以外に学生さんが外とコンタクトをとる機会、大人が学生さんとコンタクトをとる機会って本当に少ない

実際、素性の知れない大人を学校に招くのは結構リスキーだと思います。だから、こういうようなプログラムがおいそれと開けないというのも、とても分かります。

ただだからこそ、オンラインなんじゃないか?

オンラインであれば会ってみてから、この人危ないなと思ったら、チャットから追い出してしまえばいいわけで。

もちろんオンラインならリスクは0になるかといえばそんなことはないけれど、オフラインで会うよりはリスクも少ないんじゃないのかな?

子育て支援はまちづくりというけれど

以前SBCast.では、「子育て支援はまちづくり」という言葉がありました。

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子育ては家族だけでなく町単位でやっていこう

そういう思いは、色々な子育てコミュニティに触れていると多くの団体が思っているんだなと感じます。

たしかに乳幼児期の子どもと地域の人が接する機会というのは少なくない。

でも、子どもが小学生になったら?中学生になったら?子どもと地域の人が出会う機会というのは格段に減ってしまう

その場を自治会がつくることってできないものなんだろうか?

親や大人が監視をし、安全性を確保した上で、子どもと今の大人が話す。

それは大人が今の子どもってこうなんだってのを知るためにも、子どもが今の世界のありようを知るためにも、有用なのではないでしょうか。

*1:自分のやったコース以外では、舞踊とかアートとか楽器とかのコースがあったようです