高見知英のかいはつにっし(β)

高見知英のアプリケーション開発日誌 のほか、地域活動などの活動報告ブログ。

ITで何ができるのか - 『 ITと障害者 』を考える 〜 障害と向き合うITの力と工夫 〜 Advent Calendar 2024

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12月14日のアドベントカレンダーは、ちょっといつもとは違う内容として、『 ITと障害者 』を考える 〜 障害と向き合うITの力と工夫 〜というカレンダーで書いてみようと思います。

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このアドベントカレンダーは、UnleashMeetというもくもく会を中心とした活動を行うコミュニティによるもので、精神的、身体的な障害を持つ方々が集まり、自立や仕事に役立つノウハウを共有するための場を提供しているコミュニティ。現在主にDiscordで活動を行っています。

www.unleash-meet.info

それぞれの仕事の仕方や障害との向き合い方を通じて、障害者支援におけるITの可能性をさらに広げる情報がうまれています。

活動内容と背景

わたし自身は特にこれといって身体的障害や精神的な問題を抱えているわけではありませんが、これまでに山手オープンタウンSNSでの交流を通じて、ちょくちょく障害のある方々と話すことがあります。

山手オープンタウンについては以前SBC.オープンマイクでもご紹介しましたので、ひょっとしたらご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

www.youtube.com

また、わたしが所属するまちづくりエージェントSIDE BEACH CITY.にも障害がある方々がいらっしゃいます。

こんなわけで障害というものはそんなに近くもなく遠くもないものとして向き合っている というのが今のわたしです。

こんな経験を通じて思うのは、障害に対してITができることというものはかなり多いにもかかわらず、未だ実現されていないことが多いと感じています。

ITデバイス・ソフトウェアの可能性

骨伝導ヘッドセット

たとえばわたしはいつも、骨伝導ヘッドセットを愛用しています。

これは耳の周辺の骨を振動させることで、鼓膜を使わずに音を聞くことができる というヘッドセットです。

以前、他の骨伝導ヘッドセットも使ったことはあるんですが、振動が弱かったり使いづらかったりと、結局Shokz以外では十分な性能を発揮できないなと思って戻ってきました*1

このアドベントカレンダーの初日に矢野さんも紹介されているように、このヘッドセットは鼓膜に障害を抱える方々にも音声を届ける可能性があるものだと思っていて、実際に、このヘッドセットを使用して今まで聞こえなかった音が聞こえたと感動したという方のエピソードもどこかで読んだように思います。

qiita.com

Seeing AI

Seeing AIというアプリは、視覚障害者のための支援ツールです。

Seeing AI

Seeing AI

apps.apple.com

カメラを向けた対象を解析して音声で説明するというもので、目の見えない方が家族の服装を認識するなどに利用することができます。

音声読み上げと入力

そのほかにも、わたしはブラウザの音声読み上げ機能もよく使っています。

わたしはただ自分が文字を目で追うのが面倒だからなどという理由で使っているわけですが、視覚障害や識字障害を持つ方々にとっても非常に便利なものなのではないでしょうか?

実際、自分の山手オープンタウンの知人に識字障害の方はいらっしゃいますが、スマートフォンを音声の読み上げ機能を使って便利に使いこなしているというのを見ました。

音声入力機能についても、わたし自身は苦手なキータイプを補うために使っていますが、とくに指先の自由があまりきかないと言う人には便利なんじゃないかと思います。

また、LISTENのような音声文字起こしサービスも、定型句置き換え機能もあるため文章の表現に使えるというケースもあると思います。

ブログの方でこの記事を読んでいるという人はひょっとしたら気づかないかもしれませんが、この文章だって実はほぼほぼ音声文字起こしの力を使っていますし、その他にも自分がブログ等でコメントをしているときの文章ってほとんど文字入力は音声でやっています。

これらのツールは、障害のある方々だけでなく、誰にとっても作業効率を向上させる手段として使える可能性があるのではないか と思います。

その他未開拓なITの可能性

その他にも、精神的な障害にも例えば注意が散漫になりやすいのであればそれをスマートフォンでアシストするとか、忘れっぽいのであればスマートフォンに補助ツールを入れるとか、日々の行動を音声メモなどに入力するとかそのような対処方法は思いつきます。

自閉症の人も、メタバースだったら話せるよ、みたいな話も聞きましたね。

先日その話を地域のコミュニティカフェの人に話をしたら、認知症にも使えるのかな、みたいな話も聞きました。 認知症に使えるかどうかと言われると疑問ではあるものの、正直ここについては「分かりません」としか答えようがないかなと思っていました。

自分は認知症というものが何なのかというのはあまり詳しくは知りません、ただ、それについては本当に当事者またはその身の回りの人がちゃんと見て調べないとわからないんですよね。

そうやってしっかり調べてみたら、「こういう部分には使えますね」と言うのが出てくるかもしれないし、出てこないかもしれない。

それについては詳しい人が覗いてみないとわかりませんっていうのが実情だと思います。

課題とバリア

アクセシビリティの課題

実際わたしは特にバス移動が多かった頃、そもそも下を向いているとバスを乗り過ごしてしまう場合があるので、移動中はスマートフォンの画面を読み上げるTalkBackやVoiceoverなどを使って記事を読み上げていました。

ただ実際読み上げ機能を使っていると、特にウェブサイト上の広告というものが3倍以上鬱陶しく感じます

なぜなら全く読めないし、使えないし、何のことを言っているのかわからないのにスペースだけ存在していて、しかも誤タップすると帰ってこれなくなるので。

ウェブサイトのマークアップ不備が音声ソフトの利用を妨げることもありますし、特定の言葉が適切に読まれないケースもあります。

例えば障害。

よく害という文字をひらがなで書いていらっしゃる方いらっしゃいますが、これ障害をひらがなで書くと「さわりがい」って読んでしまう音声の読み上げソフトがあります。

そもそもウェブサイト自体がアクセシビリティだのなんだのと言われつつも、まだまだ晴眼者――目が全く問題なく見えるという人たちのためのものになっているのではないのかなと感じるところはあります。

心理的障壁

障害者本人が「自分には無理だ」と思い込むことで、ツールの利用を諦めるケースもあります。

それによって障害に対応するツールもユーザーが増えず、結果それを使わないユーザーに関するフィードバックがたまらない。

それによってさまざまなアクセシビリティ機能やそのためのサービス・ツールが伸びない。

実際先ほどの通り、識字障害があってもVoiceover機能を使って普通にスマートフォンを使えるという方はいらっしゃいますし、全盲の方がBluetoothのキーボードを使ってiPhoneを普通に使っていたという事例も聞いたことがあります。 でもやっていない。なぜならできないと思い込んでいるから。このような事例は多いように思います。

未来への提案

これについては健常者側の努力も障害者側の努力も必要になると思います。

障害者側の取り組み

障害がある人がアクセシビリティツールを積極的に使っていく、またはそういうような事例を紹介していく、発信していくということ。

さらに技術の可能性を広げるためには、障害者コミュニティ内での意見交換や、開発者との対話を進める必要があるかもしれません。

健常者側の取り組み

健常者もアクセシビリティツールを試用し、その感想をフィードバックできればよいと思います。

例えば先ほどお話をした通り、目を離さずに記事を読むためにアクセシビリティツールを使ってみるだとか、文章を入力するためにアクセシビリティツールを使ってみるだとか、そのように身近なところでアクセシビリティツールを使ってみて、その感想をあちこちに発信をしていく、メーカーにフィードバックをしていく。

例えばそのような声がウェブサイトのアクセシビリティ指針に影響を与えていったり、読み上げに不向きなページ構成を変えていくということにつながったりするかもしれません。

協力の必要性

特にウェブサイトの広告ですとか、そのようなものは現状晴眼者のことだけを考えて作られているところがあるように思います。 もっと障害がある人も嫌な思いをしない広告の出し方というものが存在するはずです。

そのようなものが今軽んじられているのではないかと感じることはあります。

そのような思いを伝えていくこと、変えていくこと、それは健常者だけではできませんし、障害がある方だけでも難しいというところはあるのかなと思います。

だからこそお互いにできることをやっていく。

それによってもっとITが障害がある人に向けてできることという範囲は広がっていくのではないかな。

障害者と健常者が協力し合うことで、ITが果たす役割の範囲が広がるというのはありそうです。

その結果、障害の有無に関わらず便利なツールが生まれる可能性があります。

*1:そのときのヘッドセットは、骨伝導ヘッドセットってどういうものなのというのを体感できるためのツールとして、山手縁乃庭に現在寄贈しています

AIを「難しい」と言う人へ - 生成AI 2024-2025 🤖 Advent Calendar 2024 #AIカウントダウンアドカレ #AI

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12月12日のアドベントカレンダーの記事は、生成AI 2024-2025 🤖 Advent Calendar 2024の記事として、AIを「難しい」と感じる人へのお話をしたいと思います。

AI活用の現状

先にも書いたとおり、わたしたちまちづくりエージェントSIDE BEACH CITY.では、情報の整理やインタビューの下調べなどに積極的にAIを使用しています。

blog.onpu-tamago.net

AIには、間違ったことを平然と述べる、いわゆるハルシネーションの問題があります。

しかし、自分が発言した内容の整理やインタビュー内容の整理にAIを使用する場合には、その問題が大きな障害になることは少ないと考えています。

情報調査においても、以下のようなAIを活用することで信頼性を補強できます。

  • 発言の根拠となるウェブサイトを提示する「Perplexity」などを使用する。
  • 提示された情報をもとに裏付けを行う。

AIにはハルシネーションの問題がありますが、それに対抗する手段も存在するのが現状ではないか と思っています。

地域活動でのAI活用

地域の場でわたしたちの団体がAIを活用していると説明すると、以下のような反応がよくあります。

  • 「難しい」と感じるという声
  • 「私たちも勉強しなくては」という意見

先日のSBC.オープンマイクでも、AIの活用事例としてわたしたちの活動内容を紹介した際、ゲストから「自分たちも勉強しなければ」との声がありました。

しかし、そのたびに思うのは「何を勉強するのか」ということです。

AIに投げかける言葉を勉強するの?AIが作られている理屈を勉強するの?AIに何ができて何ができないのかといった手法を勉強するの?と。

AIを使うのに必要なもの

結局、AIを利用するのに必要なものは「母国語」だけだと思っています。

このブログの読者の場合だと多くは日本語だと思いますが、英語やヒンディー語の方が得意であればそれで構いません。

とにかく母国語で今自分が困っていること、したいことというのを説明できるのであれば、それで十分なのかなと思っています。

もちろんAIが理解しやすい語彙とか、AIが理解しづらい語彙とか、そういうものはありますので、AIが理解しやすい語彙を選ぶ工夫が必要な場合はあります。

ただそんなものは使ってからじゃないと分かりっこないんです。なぜなら人それぞれにAIの使いかたというのは違うから。

いわゆるプロンプトエンジニアリング的なことも必須ではない

AIを使う際、AIに「あなたは何々です」というような役割を与えるといいということはよく聞きます。

ただ個人的にはそこまでしないと精度が上がらないという経験をしたことはないですし、それをしなくて困ったということもありません。

いわゆるプロンプトエンジニアリングなどと言われるものかと思いますが、そのようなものについても必要かどうかは質問内容や環境によって変わるのではないかなと思います。

課題への向き合い方

SIDE BEACH CITY.のブログコラムの方でも書いた通り、何よりもやはり慣れることです。

勉強する機会があればそれもいいかもしれませんが、無理に勉強すると言うことはないのかなと。

もちろんハルシネーションが怖いなとか、ハルシネーションをうまく制御する知識を持っていないなとか、そういうようなことはあるかもしれませんが、これもまた出会ってみないと分からない

ITの根本姿勢

また、ITの活用機会は多くの場合、「面倒くさがり」の精神を起点として生まれると思っています。

現在のやり方に比べて近道を提供するのがITであり、遠回りしても結果を得られることがほとんど。

だからこそ、AIを使いこなすためには、次の意識が大切なのではないかと思います。

  • まずは自分で試してみること
  • 面倒くさがることを恐れないこと

学ぶ前にまずは始めてみる

具体的な事柄が思いついていない段階で「勉強する」と宣言するのは、逆に今は勉強できるタイミングではない=今はその技術に触ることができない思考を止めてしまう危険がある と最近思います。

ことITについては、知識がないうちは「勉強」という言葉を避け、実践を重視するくらいでもいいのではないかな と。

それでもどうしても不安があるというのであれば、オンラインやオフラインで異分野の人と交流するところからはじめるのもいいのではないでしょうか。

そんなところから自然とAIを触るための度胸と言いますか、気持ちが整うのではないのかなと自分は思います。

こどもとAI - こどもとデジタル Advent Calendar 2024

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12月11日のアドベントカレンダーは、子どもとデジタルアドベントカレンダーの内容として、「子どもとAI」をテーマに書いていきたいと思います。

AIを取り巻く現状

現代において、ITの利活用を語る上でAIを話題から外すことはもはや不可能だと思います。

わたしはSIDE BEACH CITY.として緑園学園でのプログラミング授業を行っていますが、そこでも生徒からChatGPTを使って何かしらのことをやっていた旨の話をしていました。

学校によってはChatGPTなどを名指しでアクセスをブロックしているというところもあるでしょうが、これも学校によりますし、学年にも時代にもよるでしょう。

昨年度はブロックされていたツールが、今年度に入って解除されるなんていうこともあるかもしれません。

たとえ学校での制限があったとしても、家庭環境で子どもがAIに触れることを完全に避けるのは困難です。以下のような理由が挙げられます。

  • 特定のドメイン(Webサイト)をブロックするにも限界がある
  • 新たなAIサービスが次々と登場する

たとえばChatGPTをブロックしてもGeminiやMicrosoft Copilotなど別のAIが登場します。 そんなことをしている間にも、AIのサービスはどんどん増えていきます。

だからこそ、AIを完全に遮断することはほぼ不可能な時代となっている と思います。

AI利用の課題

AI利用には次のような課題が存在します。

  • ハルシネーション(虚偽情報)の発生
    • 実際に言っていないことを事実であるかのように表示する
    • 事実ではない内容を事実として提示する
  • 正しい情報の判断が難しい場合がある
    • 一見正しいように見える内容が実は間違いであるケース
  • 稀に悪意のある表現が生成される可能性

個人的にはその道の知識が足りていない編集者が無理に編集をした文章を提示されている という感覚があります。

わたしが出会ったハルシネーションの事例

ハルシネーションについてはある程度使っているとなんとなく「これ正しくないな」というのがわかる場合も多いですが、それでもよくよく見ないと気付かないような間違いが含まれている場合はあります。

例えばわたしはここ最近SBCast.やその他のインタビューなどの内容をAIに解析してもらっているのですが、たまに「あれ?こんなこと言ったっけ?」というような内容をまとめてきたりします。

内容的には文意に沿っているし、そこにその文章があったところで極端に違和感があるということはないのですが、なんかちがう。

そして実際文字起こしを確認してみると、かなり表現が誇大されていることがわかったりする。

AIに悪意があるかのような表現があるときも

海外ではAIがあからさまに悪意があるかのような表現をしてしまい、それが原因で事件が発生したということもある と、聞いたことがあります。

このような事態により、親としても子どもがAIを使用することに対する不安はあるでしょうし、わたし自身も子どもが直接AIに触れるというのはちょっと不安だなと感じます。

子どもとAIの適切な関係構築

AIを完全に避けることは現実的ではありません。

どのような形になるにしても、きっと子どもは成人する前にAIないし、コンピューターが能動的に考えているように見える何かどこかしらで触れることにはなるでしょう。

たとえ親が見せないようにしていたとしても、学校や友だちづきあいなど様々な場でAIに触れることにはなるでしょうし、そうやって偶然に子どもがAIに出会ってしまうよりは、家庭でAIというものを付き合い方を考えた上でちゃんと接する方がよいのではないかなと思います。

家庭での取り組み例

個人的にはそのような時には親が前に立つということをやってほしいなあと思います。

また親かよという話ですが、これもまた多分親じゃなければいけないということは実はなくて、とにかく子どもだけでいきなりAIを使うということはまず避けた方がいいのかなとぐらいの気持ちです。

そういう時に親が頼れるつながりを持っているというのがとにもかくにも重要なことなんじゃないのかなと。

とにかく子どもが一人でAIを使わないというのは少なくとも最初の数回はやってほしいなぁなんて思いますね。

ネットワークの活用

とにかく親が学校や地域などの、すぐに触れられるネットワーク以外のネットワークとつながること、それが何よりも重要なんじゃないのかなと思います。

親自身がAIについて詳しくなることも重要ですが、すべてを自分や家族だけで抱え込まず、周囲と連携して問題を解決するということを考えてもよいと思います。

子どもの成長限界は親で決まるのか - こどもとデジタル Advent Calendar 2024

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12月10日のアドベントカレンダーの記事では、こどもとデジタルアドベントカレンダーとして「子どもの成長限界は親で決まるのか」というテーマについてお話しします。

SBCast.の大きなテーマの一つとして「子育て支援」というものがあります。

日本各地には、さまざまな子育て支援団体があります。

  • 日常生活で居づらさを感じる子どもたちへの支援
  • 乳幼児とその親御さんが安心して過ごせる居場所の提供
  • 学生が利用できるコミュニティカフェの運営

子育てに密接に関わる団体もあれば、直接的な関係は薄いものの、子どもやその成長を考える団体もあります。

Spotifyで公開している関連プレイリストもありますので、ご興味があればぜひ覗いてみてください。

open.spotify.com

学生が利用できるコミュニティカフェコミュニティカフェEMANONはリスト外ですが、こちらから聞けます。

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今の子どもを取り巻く環境の問題

このような場所でいろいろな団体と話をしていて感じるのは、子どもの成長できる幅は、よほどのことがない限り親の行動範囲で決まってしまうのではないか?と思ったところです。

例えば、わたしたちまちづくりエージェント SIDE BEACH CITY.は、 例年9月から11月は、横浜市泉区にある緑園学園という学校で、プログラミングの授業を行っています。

そこで生徒の皆さんの感想を受け付けるという機会があるんですが、 結構な確率で、「プログラミングしている人って初めて見ました」みたいな感想をいただきます。

石を投げればプログラマーに当たるぐらいの時代になんでそんなことに?と思うこともあるものですが…。

でも実際、街を歩いてみると会わないんですよね。親がそういう人と知り合いでなければ会う機会は全くない

このように、親が分野につながりを持っていないことによって、子どもの成長がその分野に伸びない。成長範囲が決まってしまう。成長限界が定まってしまう

そういう問題があるのではないかと、ここ最近感じています。

カエルの子はやはりカエルなのか

言い方は良くないですが、カエルの子ってやっぱり7割方カエルなんだなと自分は思っています。

コンピューターにほとんど触れない親の子どもは、やはり高確率でコンピューターが苦手です。

それは多分他の分野にも言えること。両親共に料理が苦手であればやはり子どもも料理が苦手だったり、そんなに得意にはならないし、ものづくりが苦手であれば、やっぱり子どもも物を作るのは苦手だったり、そういう概念を持っていなかったり*1

今時の子であれば、ケータイぐらい誰でも触るでしょうインターネットぐらい誰でも使うでしょうゲームぐらい誰でもするでしょう。そんなの親の得意不得意に関係ないよと思うかもしれませんが、 やっぱりそれでも触らない人は全く触らないし、触ったとしても活用範囲がすごく狭かったりするというのはあるのかなと思います。

「もうテレビなんてそんなに見る人いないでしょう」と言われている世の中にもかかわらず、ポッドキャストなどを聞くとテレビの話題が割としょっちゅう出てくるのと同じで。「今時の子は誰だってゲームするでしょう」という時代であっても、「私ゲームやらないんだよね」という比較的若い方、学生さんとかが割とポッドキャストで出てくるのと同じで。

結局子どもの趣味嗜好の半分以上って親や周りの人にかなり影響されるな と感じます。

突然変異の可能性も増えてきた とはいえ…

インターネットの様々な情報機器は確かにそこに突然変異をもたらす可能性もなくはない。

とは言っても、それでもやはり親の考え方によってある程度子どもの成長方向って決まってしまうし、そこが限界になってしまう可能性が出てくるんだろうなと最近感じています。

だからこそ冒頭お話をしたとおり、カエルの子はやはり7割方ぐらいはカエルなんです

いきなりトンビが生まれたりタカが生まれたりということは、…まあ可能性が出てきたと言ってもせいぜい3割程度なのかなと個人的には思っています。

親が完璧超人にならないために、斜めのつながりが大事

では親は完璧強人にならなければいけないのかと言うと、それはそんなことはなくて。

そこに出てくるのが以前SBCast.でみんなの放課後クラブの丸山さんがおっしゃっていた斜めのつながりだと思うんです。

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自分の親とか先生とかそういうような人ではなくて、何の関係もないんだけども地域にいる大人と出会う。

そういう機会を増やすことによって子どもの成長限界って変わってくるのではないのかなと個人的には思います。

そうやって子どもが「こんな生き方もあるんだ」ということを知るとか、親が「困った時にこういう人に相談すればいいんだ」ということを知るであったりとかそういう可能性が斜めのつながりには含まれていると思うんです。

インターネットのセレンディピティ。それは大人にとっての話

よくインターネットって見知らぬ情報と出会う機会――いわゆるセレンディピティと言われるもの――これがないと言われます。

実際には全くそんなことはなくXを見ればおすすめ記事で全く知らない分野の情報が流れてきたり、Googleのおすすめ記事で全然知らない分野の情報が流れてきたりといったことはたくさんあると思います。

確かに方向性は若干自分に向いているかもしれないけれどもそれでも十分なセレンディピティがそこにある。

それは確かにその通りではあります。

ただとは言ってもそれはインターネットを使う機会の多い大人の話です。

そこまでインターネットに触れる機会のない子どもや日々忙しい親御さんにとってはやはりインターネットにセレンディピティなどというものは存在しないと思います。

少なくとも現実に比べるとほぼ皆無に等しい。

だからこそ現実世界に今まで以上のセレンディピティを求める必要があるのではないかとわたしは思います。

そんなセレンディピティを現実になるべくローコストで求める。 これが斜めのつながりの育む場の力ではないかなと個人的には思います。

斜めのつながりを育む場とは

では斜めのつながり、具体的にはどのような場で育まれるのかというと、それがいわゆるコミュニティだと思うんです。

地域のコミュニティカフェとか、コワーキングスペースとか、様々な地域活動拠点とか。

そういう場に子どもが行く、親が行く、そしてそこで斜めのつながりを育んでいく、発見していく。

それが非常に大切なことなのではないのかなと。

そんな場所に出向いて、困ったときはこの人に話し聞いてみようというつながりを作る。それが大事なのではないのかなと思います。

オンラインをも活用しさらにつながる

もちろんそんな場でいくらつながりを作れたとしても、いざというとき話せなければ意味がありません。

でもそういうときにはオンラインを使えばいい

オンラインの場で続きが話せる。そんな姿勢がみんなに必要になると思っています。

子どもがデジタルに触れてその可能性を最大限に生かすためにも、親もデジタルというものをある程度ちゃんと使っていろんなことができる・誰かとつながれる、そんな必要があるのではないのかなと思います。

そこから先に、例えばプログラミングであったり電子工作であったりゲームであったり、 自分自身が入り込めそうにないなという話題は自分の知り合いにつなげる。

時にはインターネット越しでもつなげてみるとか、そういうようなことができるようになればいいのではないのかなとわたしは思います。

「子育ては街でやっていく」とは言うが

よく子育てコミュニティの方がおっしゃっている言葉で、「子育ては街でやっていく」というものがあります。

これについてはどのような子育て支援団体に行っても、もちろん単語の内容は変わりますが、ほとんど同じ趣旨のことを皆さんおっしゃっています。

実際、子育てというのを個々でやっていくというのは非常に難しいことにもなりますし、ノウハウを共有するという意味でも、街でやっていく方が効率がいいと感じるところはとてもあると思いますし、自分もそう思います。

ただ、実際そこでいう「街」というのが非常に小さいもので、親の行動範囲で話しかけるような相手だけに限定されてしまうというケースは多い。

子どもがいない人たちであったり、結婚をしていない人たちであったり、いつも行かないお店の人であったり、全く知らない趣味を持っている人であったり、そういうような人はその人たちの言う「街」に入っていない

ただ、そういうようなものは街とは言わないと自分は思います。

いろんな人が入っていて、全く自分の知らない人も入れて、それが初めて街と言えるものだと思います。

そういうような人に気軽に出会う場を作る。それが斜めのつながりの場であると思いますし、そのような斜めのつながりをさらに強くする場としてインターネットって使えるのではないのかなと思っています。

リアルな場もインターネットも、両方を使って作る真の「斜めのつながり」

子どもの成長限界をさらに上げていくために、子どもも親もデジタルというものをちゃんと使える必要があるのではないか。

子どもはもちろん、言わなくても機会があればデジタルというものをどんどん使っていきます。 だからこそ親ですね。

親がデジタルを使う、インターネットを使う

苦手だから…ではなくて、ある程度でもいいので使えるようになって、その先こういう人に頼ればいいんだなというつながりを作っていけばいい。 そうすることで真に街でやっていく子育てというものが実現できるのではないのかなとわたしは考えています。

というところで今回の子どもとデジタルアドベントカレンダーの記事、「子どもの成長限界は親で決まるのか」という題材についての記事はこれにて締めとさせていただければと思います。

*1:料理についてはまあ、「親がやらないからこそ自分がやらなければ」と思ってかえって奮起するお子さんもいらっしゃると思いますが

それキリスト教がやったやつ - ゲームを通して学んだこと Advent Calendar 2024 #アドベントカレンダー

ChatGPTで作成したマインドマップ

12月8日のアドベントカレンダーでは、ゲームを通して学んだことをアドベントカレンダーとしてお話をしていこうと思います。

これは最初にもちょこっと話を出しました、ファイアーエムブレム風花雪月よりということで、個人的にはすごく気に入っている内容が一つあるんです。

アビスの禁書棚

これは追加ダウンロードコンテンツ、エクスパンションパスを買うことで行けるようになる、アビスというガルグ・マク修道院の地下に広がっている巨大な都市空間、スラム街みたいなところについてのお話です。

ここは何らかの事情*1で表の社会にいられなくなった人が寄せ集まって生きている場所。

このガルグ・マク修道院自体が本当に歴史の長い建物で、誰も全ての場所を知っているという人がいないというぐらい複雑な場所になっています。

まあ簡単に言えば横浜駅と渋谷駅と新宿駅を足して100でかけたぐらい複雑にした場所って言えばいいんでしょうか。そんな場所だそうです。

その一角にあるのがこのアビスという場所。

このアビスの中に禁書棚というか、表の書庫には適さないと言われて捨てられたものが並んでいるという書庫があります。

現実世界との繋がり

その中に面白い本があって、世界の虫大全というものがあるんです。 で、本を開いてみるとどうも全然違うことが書いてある。

「以下のものを研究を禁止する」って書いてあって、どうもよく見るとこれは表紙を差し替えられたのではないか と。

それだけで本当に禁書中の禁書だったんだなっていう感じがすごくよく伝わってくるんですが、そこに書かれていることで、燃える黒い液体とか、眼鏡を加工して遠くを見る道具とか、金属製の型を利用した書物の作成器とか、あとは人体の解剖についてとかですね。そういうものの研究や開発を禁止するって書いてあるんです。

研究禁止目録の内容
こちらについてはなんとなくピンとくる方もいらっしゃるかなと思いますが、 石油とか重油とかと、望遠鏡または双眼鏡と、あとは輪転機ですかね。人体の解剖についてはストレートですけれど、これらの研究を禁止するというもの。

で、これを見ておお!と思ったんです。これ歴史的に宗教なりなんなりで禁止したり、開発について圧力がかかったりしてたものなんじゃないかなと。

一応これもちゃんとここで話す上でAIで調べてきたんですが、解剖については中世ヨーロッパで禁止されていたっていうものですかね。

望遠鏡については望遠鏡そのものが禁止されたっていう歴史的経緯はなさそうですが、AIで調べてみた限りでは地動説の研究を禁止していたっていうことは確かにあるので、それに関係しているんじゃないかなという感じ。

輪転機についてもそうですね。印刷技術自体が制限されていたという経緯は過去にありました。

こちらについては検索内容はAI問答メモにいつもの通り上げていますし、詳しくはそちらなんかを見ていただければと思います。

takamichie.notion.site

まあなんらかの形で、研究開発に圧力がかかったり制限がかかったりしたっていうものであることには間違いはなさそうかなという感じです。

正直なところ、燃える黒い液体――石油とか重油とかについての内容は調べても見つからなかったので、これ元ネタなんだろうねっていう気にはなるんですが、とりあえず大部分宗教が元になっているというのは間違いなさそうかなという感じではあります。

これについては正直、このゲームをやった時点で一応知っていることではあったんです。

当時アニメで人体の解剖っていうのは禁止とされていたっていうようなことは見たことがありますし、あとは輪転機についてもなんらかの形で制約がかかっていたみたいな話は聞きましたので、これは確かに実際にあったことだなみたいなこともなんとなく知ってはいます。

このためすごい驚きというようなこととはまたちょっと違うんですが、ただゲームっていうところから現実にリンクする歴史や文化のなんらかの形を知ることができたっていうのは、すごい自分的には面白いポイントでした。

なので好きなところかなというふうに個人的には思っています。

もちろん全てのゲームがここまでしっかり作り込まれているとは限りません。 本当にこのファイアーエムブレム風花雪月は驚くほどに世界観が作り込まれていて、解説している人の記事を読んだことはあるんですが、やはりヨーロッパのいろんな文化、神話、物事、いろんなことを全部混ぜこぜにして、フォドラの神話、世界観、文化っていうものを作り上げているらしいんですね。

www.homeshika.work

だからこそこういうものが生まれたっていうところもあるんでしょうか。

やはりこういうようなところから現実にまさに記号接地するっていうふうに言うのでしょうか、こういうところもすごくあるんだろうなと思いました。

ゲームが調べるきっかけになる

もちろん一人で全てこれを全部「こういうことだったんだ」って気づくのは難しいんだろうなと思うんですが、検索するきっかけにはなると思います。

実際自分もこうやって、じゃあ書くからには調べなきゃなっていうことでいろいろ調べてまわりましたし、結果的に事実を見つけられたかどうかはわかりませんけれども、それっぽい記事っていうのは結構見つけることができました。

こういうような検索のきっかけ、調べるきっかけにはなってくるのかなと思います。

そこから誰かの解説記事に巡り合うっていうこと、そういうことだったんだって気づいたり、誰かの解説動画に巡り合って、ああこういうことだったんだってことができる可能性を秘めている。

それがゲームだなと思います。

実際そういうものを身近に体感できる事例として、一つゲームさんぽという動画シリーズがあります。

これは色々な団体が配信している動画のシリーズで、まとめてハッシュタグとして「ゲームさんぽ」というものをつけて動画配信してみましょうみたいな取り組みの一つというのでしょうか。

ゲームと関係ない分野の専門家と、ゲームを一緒に見ていくことによって、新しい発見を紹介していこうっていうゲームに関する動画です。

中にはゲームをやっている本人が専門家っていうようなものもあったりするんですが、何らかの形で「現実にあるこれと同じものだね」とか、「こういう感じのものなんだね」とか、そういうようなことを紹介して回る動画をシリーズとしてゲームさんぽと呼びましょうという感じになっています。

今回の話もこれに近いところにあるお話なんじゃないかなと思いました。

こういうゲームをゲームとして遊ぶという視点だけでなく、複数の視点で見ることによって見つけられるものって実は結構あるよねっていうのを、このファイアーエムブレム風花雪月を通してすごく思った。

そんなエピソードだったなと個人的には思っています。

こんな感じで今回のゲームを通して学んだことアドベントカレンダー

それキリスト教がやったやつというタイトルでのお話はここにて締めとさせていただければと思います。

*1:借金に追われているとか、何らかの犯罪を犯してしまったとか

今年SIDE BEACH CITY.でやったこと - まちづくり Advent Calendar 2024

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12月7日のアドベントカレンダーの記事では、「今年SIDE BEACH CITY.でやったこと」というテーマで、まちづくりアドベントカレンダーの記事を書いていきたいと思います。

このアドベントカレンダーについては毎年行っているもので――といっても、自分自身は大体2記事ぐらいしか書いていないんですが、まちづくりの活動を行う人に関するブログ記事のカレンダー、特にITコミュニティ等に関わっている人とか、そういうような人にもまちづくりってなんだろうってことを知ってもらえればいいなとか、そういうようなことも考えつつ、毎年このアドベントカレンダーを作成しています。

かれこれもう2015年から始めていたものなので、9年ぐらいになってしまいましたが、もう少しまちづくりアドベントカレンダーが流行ってくれればいいなぁなんて思ったりなんかしながら、ずっと記事を書き続けています。

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これからゲームデビューする大人に向けて - ゲームとことば Advent Calendar 2024 #アドベントカレンダー #ゲームとことば

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12月6日のアドベントカレンダーは、ゲームとことばアドベントカレンダー

このアドベントカレンダーでは、正直テーマすごく決まっているというわけではないのですが、この間お話をしていた、「大人がゲームデビューをする」っていう話を中心にしていこうかなと思っています。

この間の話で、ゲームを親がすること、大人がすることって大事なんじゃないのという話をしました。

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