これはゲームなんでも Advent Calendar 2023 - Adventarの3日目の記事です。
現在私は山手縁乃庭という場所にて、Nintendo Switchを置いて、来た子どもにゲームを遊んでもらうという試みを行っています。
以前こちらについてはたびたびちえラジChatの方でも話をしていたと思いますし、先日はイベントでの発表も行いました。
なぜこのようなことをやっているのか?
なぜこのようなことをやっているのかというと、いくつか理由はあります。
- ゲームをとおして、大人も子どもも集まれる場を作りたい
- ゲームを学びのきっかけとして活かすという可能性の話をしたい
- ゲームとのよりよい関わり方をもっと多くの人に伝えたい
- スペース的に遊べないゲームというものに触れる機会を作りたい
ゲームをとおして、大人も子どもも集まれる場を作りたい
常々わたしは、ゲームを多くの人が立ち寄れる場所に置くことで、地域の人々を繋ぐことができ、ひいては有事の安否確認にもつなげることができるのではないかと思っています。
特に地域のコミュニティスペースなどの公的スペースには、もともとお年寄りは少なくない。
そこにゲームを加えることで、子どもが集まり、結果その親も集まる。
結果的にいろんな世代の人が集まり、そこで話し合ったり、場合によってはゲームをしたり。
そうすることで、人々同士の繋がりが出来る。
そして、いざ誰かが来ないというときに「そういえばあの人いないね」という話から安否確認ができたり、いざ災害が起こったりした時よりスムーズに協力しあえる状態をつくったり。
防災に関する活動されている団体の方と話をしている時に常々思いますが、いくら防災のノウハウや仕組みを作ったとしても、お互い話し合ったこともない人同士が、いざ災害が起こったからって協力できるわけがない。
いざという時のためにも、平時により地域で過ごしやすい空間を作るためにも、お互いが話したことはあるという状況を作る必要があるのではないかと思っています。
ゲームというのは、そういった他人が出会うためのきっかけに。協力のためのきっかけになるのではないかと思っています。
ゲームを学びのきっかけとして活かすという可能性の話をしたい
また、今の時代ゲームでしかわからないこと、ゲームでしか学べないことというものは増えてきているのではないかなと思います。
以前にもこちらでは、何度かゲームでしか学べないことの話をしてきたと思います。
今となっては現実で見ることが困難になってしまった風景やできごと、今となっては現実に見ることができなくなってしまった事象や物事。
完全な再現ではないとはいえ、擬似的にそれらを体感することができ、それをとおして自分の知らなかったものを知ることができる。それがゲームの魅力。
しかも、小説やマンガなどといったほかのメディアに比べると、自分自身がゲームをプレイし、その体験の中から学ぶことができるという点で、はじめに想像力があまり要求されないという点も、ゲームならではの特徴かと思っています。
もちろん漫然とただやっているだけでは、そのゲームの中での出来事を自分の糧にするのは難しいかもしれません。
ただ、周辺にそのゲームのことがわかっていて、副読本のような存在になってくれる人がいれば。
ゲーム中のさまざまな学びのエッセンスに気づくきっかけを与えられる大人がいれば。
より多くのことをゲームの中から学び取ることができるのではないかと思っています。
もちろんゲームは学ぶためのものではない。
ただ、楽しく遊んでいる中で「あれ、そういえばこれってこういうことだったんだ」というようなことを発見していく。
そういうふうに学べるきっかけを作るためには、こういうように大人も子どももいる場でゲームをするということが重要なのではないかと思っています。
ゲームとのよりよい関わり方をもっと多くの人に伝えたい
ただし、そうは言っても、ゲームというのは関わり方を間違えると危ういものでもあります。
以前SIDE BEACH CITY.に舞い込んだ相談の一つとして、夫のソーシャルゲームへの課金額が膨らみすぎて困るというものがありました。
地域で活動していると、子どもがゲームにハマりすぎてしまって、勉強やその他やるべきことをすっぽかしてしまうという話もよく聞きます。
ゲームには、先述したようなメリットもある。
ただし、その反面デメリットもある。
一生のうち一度もゲームに触れないということが極めて難しい現代。触れることを避けられないのであれば、ファーストステップは周りの人が関係を持てる場所で、周りの人がサポートができる場所であった方が良いのではないかと思っています。
そのファーストステップの場として山手縁乃庭のような場所があればいい、とわたしは思っています。
スペース的に遊べないゲームというものに触れる機会を作りたい
また、最近のゲームには、Nintendo Switch Sportsや、リングフィットアドベンチャーなどのように、物理的なスペースを必要とするゲームも少なくありません。
例えば、Nintendo Switch Sportsであれば、一人当たり二畳分のスペースは欲しい。
マリオカートライブホームサーキットというゲームに至っては、推奨環境として6帖分のスペースは欲しいとされています。
そのほかにも、対面で複数人のプレイヤーが集まらないとできないゲームなどもあります。
このようなものを見ると、やりたいゲームをやりたいように遊んでいる人って何人いるんだろうか?と思うこともあります。
だからこそ、そういうようなスペース的・人数的さまざまな要件を気にしないで遊べる場があればいいんじゃないかと思ったのもあります。
ゲームについて語れる場は地域にも必要なのではないか
ゲームといってもいろいろな形があります。
ゲーム機のゲームの他、ボードゲーム、スマートフォンやパソコンのゲーム、さまざまな形がありますし、課金の体系も多様化してきています。
今やプレイヤーだけがゲームを知っていればいいという時代ではないと思います。
ゲームについて、プレイヤーもそれ以外も語る場が必要なのではないか?
インターネット上だとすごく語れる場はたくさんあるように見えますが、地域だととにかく少ない。実際、縁乃庭にSwitchを持ち込んだ時も、扱える人が自分と数人ぐらいしかいなかった*1。
まずはそういう状態を何とかしないと、ゲームについて地域に話せる場というものを作るのは、夢のまた夢です。
だからこそ、まずはここから変えていかなければいけない。
様々な課題
課題もたくさんあります。
まずSwitchのようなゲーム機を扱える人がとにかく少ない。
山手縁乃庭の場合は平日での活動だからというのもありますが、そもそも関係する団体を含めても、Switchを持っている人自体が少ない。
そしてゲームを遊びに来るのが現状、子どもだけであるというのも問題だと思っています。
大人や高齢者がゲームに興味を持ち、遊べる状況にならないと何も変わらない。
ただ、その課題を見つけていき、それを文章化する。発信する。
それもまた、状況改善のための一歩なのではないかと、わたしは思っています。
このような取り組みがもっといろんなところで行われていくと嬉しい
本来であれば、このような取り組みは、公民館などの公共スペースにした方がいいのではないかと思っています。
そうでもしないと真の意味で大人も子どもも高齢者もいろんな人が集まって遊べるスペースにはならないですし、山手縁乃庭のような小さい組織だけがこのような取り組みを行っているというのは、ゲーム会社が存在を把握しづらいという点でも問題なのではないかと思っています。
公民館であれば、現状ほとんどの市区町村には二つ以上の公民館があると思います。だからこそ、より多くの人にリーチできる。
ゲームについて、より気軽に触れられて、より気軽に話し合える空間のために
そのような未来も見据えて、わたしは山手縁乃庭でのゲーム展開を行っています。
ゲームデータの取り扱いであったり、権利的な問題であったり、さまざまな問題もあると思います。
ただ、何もしないままでいるのは、それはそれでよくないのではないか。
今後何か進展があれば、ブログやポッドキャストなどで逐一発信していければと思いますので、是非注目いただければ幸いです。
*1:現状も変わってないですが