高見知英のかいはつにっし(β)

高見知英のアプリケーション開発日誌 のほか、地域活動などの活動報告ブログ。

勉強ってなんだろう

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今日はこちらより

stand.fm

最近勉強をする人が少なくなった とか、どうやって勉強をすれば良いか という話を、最近よく聞きます。

www.businessinsider.jp

最近教育関係のポッドキャストも効くようになったのですが、ここでも勉強というキーワードは(当たり前なのですが)出てくる。

anchor.fm

勉強ってなんだろう?個人的にはここ最近で勉強しようと思って勉強したことはほとんどないのですが、それではわたしも上の記事で言う「勉強しない人」なのか?

勉強しようと思わないと勉強はできないのか?

個人的には、勉強しようと思わないと勉強できない 知識を習得することができない というのは、今はかなり大変なのではないかと思っています。

とくにプログラミングや医療のように情報の刷新が速い分野だと、せっかく勉強してもその情報が翌日には古くなったり、新しい情報を得、理解するためには考え方を180°変えないといけなくなったりするということがよくある。

そんなときに勉強しようとしないと勉強ができないとなると、毎日いつも勉強していなければいけなくなる。

そうではなくて、勉強しようと思わなくても、新しいものを見聞きしただけで「あ、こういう方法があるんだな」 「こういうことができるようになったんだな」というレベルで良いので把握をしておくことが必要じゃないか と、最近思っています。

そして、いざ本当にその知識を使おうというときには、既に収集していた情報と、ほんの+αの実運用のための情報だけあればいい。そのくらいにしないと結構厳しいのでは と。

何をやっても知識は得られる。肝心なのはその心構えを持てるかどうか

わたしは基本的に、どのようなものからでも知識や情報を得ることはできる と思っています。

ゲームでも、漫画でも、アニメでも、Twitterでもそう。それはどんなジャンルのゲームなら勉強になって、どんなジャンルのゲームは勉強にならないとかそういうことは一切なく、すべて。

ただ、そこから知識や情報を得るには、こちらにもそれ相応の心構えがいる。「ここで学ぶことなんかないな」と思ってしまうと、せっかくそこで得られるはずの知識、情報を得ることができない。

とくにゲームは、そういう傾向が強いように思います。ゲームはただの遊びではあるものの、ただそれはそれとして、そこから得られる知識・情報はたくさんある。

そのような情報を、遊びながら得られるようでないと、今の社会は生きづらい。

もちろん「勉強するための勉強」は必要だけど。

たとえばゲームであればフィクションな部分も多いので、そこをうまく切り分けて考えるなど、それらから知識を得るための勉強も必要です。

ただ、それだけを勉強というのであれば、「勉強しない人」は、決して問題ではないよね と思ったりします。

では、その上で「勉強」とは?というのが、最近感じていることです。