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最近ゲームに関わる話しをすることがなんだか増えてきました。直近だと先日のSBC.オープンマイクで格闘系司書さんをお招きしてゲームの話をしたり*1。
先日はTwitterで格闘系司書さんとその周りの方がTwitterSpaceで、ゲームや同人誌に関わる話しを話していた というのもありますね。あのあたりの人はほんとうにパワーに満ちていて、今後もどこかでお話ししたいなあと。
ゲームが学びにつながる
ここでも言及していますが、わたしはゲームには、勉強につながる可能性があるものだと思っています。
それは、ここでもあげているとおり、歴史上のできごとをよりすんなりと理解できるようになるとか、自分とことなる分野の知識を身につけることができるとか。
上記でもとりあげたポケモンスナップなんかだと…。
複数のポケモンが映り込んでいる写真を撮ると「ほかのポケモンが写っていると そこの生態もわかる分かるので研究に役立つ」いう解説があります。
わたしはこれを読んで「こんな観点で写真を見ることがあるのか」と感心したものです。
他の分野の活動を見聞きしたり、その中の人と話をすると勉強になるのと同じかなあ と。
遊びやビジュアルとリンクする
その他にも、ゲームというのはビジュアルがある。そのため、より勉強になりやすい というのもあると思います。
主人公の気持ちにより寄り添いやすくなったり、その中の出来事から教訓を得やすくなったり。
小説からなにかを学ぶのと同じような流れではありますが、ビジュアルがあり、遊びにもリンクしているぶん、よりそれが自分の実になりやすい というのはあるなと思っています。
そのほかにもあるいろいろな体験
このへんについては以前、こちらのブログにも書いていました。
浜小学校コミュニティハウスでゲームをやっている子どもたちを見ていたときの話し。ゲームをしているうちに、やり方が洗練されていき、より効率の良い手段が取れるようになる。
これを見て「ゲームは非言語スキルを鍛えるのに良い」と思ったものです。
そのほかにも、チーム戦を主としたウォーゲームの経験者はリーダーシップ能力が高い傾向があるとか、MMORPGのチームリーダー経験者が下手な会社の管理職より指導力に長けているとか、いろいろな話を聞きます。
レースゲームから周囲の注意力を身につける*2とか、落ちものパズルからとっさの判断力を養う とかもありますね。
その経験値を持ち帰れるかどうか という課題
ただ、そんなゲームから体験や知識を持ち帰れない人 というのもいるな と思います。せっかくゲームで良い体験をしても、現実に活かせない。
わたしは「ゲームで得た経験値を持って帰る能力」と言っていますが、ゲームで得た知識・経験を現実世界でもある程度活かせるようになるには、何か別のスキルが必要なんだろうなあ と思っています。
それがなんなのかは、今のところわたしには分かっていません。
一つのヒントとしては、家庭や地域の環境があるのでは?
ただ、自分の経験から考えると、親や身の回りの人のゲームに対する態度が一つのエッセンスになっているのかなあ と思っています。
度々話しているとおり、わたしの母方は基本的にゲーム好きで、母はファミコンの時代からどっぷりいろいろなゲームをやっていますし*3、祖母は晩年までドクターマリオをやりこんでいました*4。
たぶんゲームが嫌いな親も少なくないであろう時代に、ここまでゲーム一家な家庭も珍しい というくらいゲームとわたしはそばにあったと思います。
ゲームに関して、親と語る
だからこそ、ゲームに関して母と話すことも多く。ゲームに出てきたものの補足説明だったり、一緒のゲームプレイをとおして何かを話したり。
それが「ゲームで得た経験値を持って帰る能力」に関連しているのではないか?とは正直思います。
ゲームは確かに学びにつながる。でも本当に学びにつながるには、ゲーム外でなんらかのスキルを獲得する必要がある
ゲームは確かに、学びにつながり得ます。現実の勉強をよりやりやすくする何かになったり、非言語スキルを鍛えたりと、現実に良い結果をもたらすことは結構ある。
ただしそのためには、ゲーム外でなんらかのスキルを身につける必要がある。
それがなんなのかは正直分かりませんが、少なくとも自分を取り巻く環境が、ゲームを受容する環境であること、ゲームについて他の誰かと話すことが重要である と思っています。
たぶん子どものゲーム環境を整えるのは親だし、それを見守るのは地域だったりする。だからこそ、わたしはまちづくりエージェント SIDE BEACH CITY.で、子どもの環境を良くするには親や地域からを表題として活動するのです。