このブログはゲームなんでも Advent Calendar 2020 - Adventar18日目のブログです。
以前DevRel Meetupに参加してそのようなことを言ったら「是非ブログに書いて」と言われたのをすっかり忘れてたので、あらためて。
今やゲームジャンルの一つになっているローグライク。その草分け的存在として、不思議のダンジョンシリーズがあります。
原作(?)のトルネコの大冒険や風来のシレンの他、ポケモン不思議のダンジョンやチョコボの不思議なダンジョンなど、派生作品も非常に多く出ています。
わたしはトルネコの大冒険からはじめ、風来のシレン、ポケモンやチョコボなど、一通り最低限は触ってみています。最近だと不思議のダンジョン 風来のシレン5plusとポケモン不思議のダンジョン 救助隊DXあたりがありますね。
不思議のダンジョンは人生である
で、本題。
この言葉の真意は、「不思議のダンジョンには人生と同じようなものを感じる」ということ。階層=年齢で、序盤は事故による死亡が多く、中盤は落ち着くものの、30階あたりからはなかなかうまく進めなくなってくる。
攻略Wikiなどの他者の活動メモは強力な資料ですが、それでもヒントにしかならず、結局は自分の判断だけがものをいう感じ。失敗してもそうそうやり直しは効かず、うまく軌道修正しつつも続けるしかない。このへんはまさに人生そのものだな と思っています。
様々なトラブルに備える
様々な事故に常に備える というのも不思議のダンジョンの醍醐味の一つ。
突然ピンチに陥ったり…。
油断が大きなトラブルに発展したり…。
こういうときのトラブル対策の考え方は、現実のトラブル対策にも通じるものがあると思います。
ゲームはシンプルにものを考える手助けになる
不思議のダンジョンのみならず、ゲームはシンプルに物事を見るヒントになり得る、と思っています。
たとえばファイアーエムブレム風花雪月のスキルレベルの仕組みや資格試験のシステムは、「学校教育ってどういうもの」「資格試験ってこういうもの」というものを考えるきっかけになりました。
その他にも、すべてのパラメータを数値で表現するシステムというのは、現実を見る際のものさしにもなるのではないかと思っています。
もちろん、かならずしも現実のものさしになるとは限りませんが、一つのヒントとして、ゲームというのは有効なんじゃないかな と。