高見知英のかいはつにっし(β)

高見知英のアプリケーション開発日誌 のほか、地域活動などの活動報告ブログ。

ゲーム内のエッセンスをいかに他者に届けるか - ゲームを通して学んだこと Advent Calendar 2024 #アドベントカレンダー

この話のマインドマップ
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12月25日、最終日のアドベントカレンダーの記事では、ゲームを通して学んだことアドベントカレンダーとして、ゲーム内のエッセンスをいかに他者に届けるかというお話をしようと思います。

ここまでこのゲームを通して学んだことアドベントカレンダーの記事で話をしてきたように、ゲームってそこから学べるということ、そこからしか学べないことっていうのは結構あります。

天穂のサクナヒメの農業もそうだし、Groundedやファイアーエムブレム風花雪月での命のやりとりなどもそうだし。

今回お話ししませんでしたが、ファイアーエムブレム風花雪月で中世ヨーロッパ風の世界観の貴族の考え方や暮らしぶりっていうのを見ていたおかげで、現実の中世ヨーロッパの貴族社会の考え方がすごくすんなりわかったというのもありました。

その他にも、ゲームじゃないとなかなか体験できないことや、現実世界・現代日本ではちょっと体験できないようなこと、たくさんのことをゲームで経験することができるというものがあると思います。

ゲームの学びとそれを阻むモノ

ゲームっていろんな部分をすごくデフォルメしているからこそ、現実にはすごく小難しいことが単純化されていて、「あ、つまりこれはこういうことなんだな」という理解をしやすくなるという力があるんじゃないのかなと個人的には思っています。

一方、そうは言っても、ゲームというのはやはり遊びです。「遊びからそんなことを学ぶことなんてない」と思っている方もやっぱりいらっしゃいます。

それ以外にも、ゲームと聞いただけで、「あ、自分のもんじゃないね、関係ないね」と思ってしまう、そうやって一切の理解を諦めてしまう、シャットアウトしてしまう、なんていう人だっています。

学びを届けるために

以前ゲームを図書館で扱っているというところから、過去のゲームに触れることでそのゲームの良さを体感していくことができる。そこから何か学びを得ることができるというような話をしている方がいらっしゃったのでお話を伺ったこともあります。

ゲームからいろんな学びを得ていく、それ自体はすごくいいことだと思うんですが、ただ、それって結構才能がいることなんじゃないのかなと思います。

ある方はこれをゲーム筋とおっしゃってましたね。ゲームの筋肉。

やっぱりゲームをやるにもそれなりに筋肉がいるし、そこから学びを得るとか、「あ、こうやって現実のここにマッチするね」っていうふうに考えるのも、筋肉と表現するのは適切ではないかもしれないけども筋肉が要る。そんな感覚は確かにあります。

だから、いかにそこまでゲームに慣れてない人にも、ゲームと関わったことがない人にも、ゲームから学べたことを届けていくっていうことってすごく重要なことなんじゃないかなっていうことで個人的には思っています。

対話の重要性

特に地域で活動しているとゲームに全く関係をしていないっていう方も結構いらっしゃいます。

そういうような人に、「あ、ゲームってそういうことがわかるんだね、そんな可能性があるんだね」と思っていただくっていうのは、それだけで結構難易度の高いものになってくるのかなっていうふうに思います。

それはどうするの というと、個人的には対話の機会を作ることが必要なんじゃないのかなと思っています。

ゲームから何かを学び取れたという人と、ゲームから何も学び取らなかった、あるいは全くゲームをやってない人、そういう人たちが混ざって話をすること。

そうすることで、「あ、そういう体験ができるんだ、じゃあそのゲームやってみようかな」となったり、あるいは「そういうゲームの見方ってあるんだね」というものとか、そういう意見が生まれてくるのではないかと思います。

動画コンテンツと語り部

もちろん、今はいろんなゲームに関するコンテンツがあります。

自分がよくおすすめする動画としてゲームさんぽというゲームを全く関係ない分野の専門家と見て、「あ、こういう視点があるね」とか、「こういうふうに考えられるね」とか、そういうような話をしていくというシリーズの動画がありますが、そういうようなものも、ゲームをやらない人がゲームの中のエッセンスを知るにはよいでしょう。

ゲームからいろんな視点でこういうことが勉強できたりするんだとか、こういうことが体験できるんだとか、そういうようなものを出力しているコンテンツもたくさんあります。

ただやはり結局は、そういう体験をしたという人本人と会話をするというのが一番大きいのかなと思います。

対話を通じたエッセンスの伝播

動画はそのたくさんの要素が含まれているゲームの中から一部を切り抜いたものでしかありません。

ゲームやってる人だったら割とピンとくるんですが、そうでない人にあんまりピンとこなかったりすることもあります。

だからこそ、やっぱりそのゲームをやって、「ここはすごかったな、面白かったな」ということを知っている人が語り部になって、そういうゲームを知らなかった人、見てこなかった人たちと話すというのが重要なんじゃないのかなって思います。

確かにゲームさんぽなんかはすごく面白い試みの企画だと思いますし、そうでなくてもゲームから学べることはとても多いんですが、やはりそう思っていない人もその人たちの倍以上はいるっていうことがあると思うんです。

これはゲームから何かを学び取って、この思いを伝えたいっていう人であればある人ほど、常に自覚しておきたいことなのかなと思っています。

会話のきっかけとしてのゲーム

もちろん最初は話が合わないかもしれません。

でもそれでも、そういう人とちゃんと話をしてみる。そこから始まることがあるんじゃないのかなとここ最近は考えています。

今の社会、話題が合わない人と無理に話す必要なんかないですよ、合わないなら無理に合わせなくていいですよと、そういうふうに言われる社会ではあります。

でもそれで全てが解決するわけでは多分ない

結局どこかしらで力を合わせなければいけない時だってある。

そんな時にそれなりにうまく関われるようになるためには、やっぱり合わない人ともそれなりに話をしていかなければいけない。そんな時もあるのではないのかな。

ゲームを通じた新しい対話

そんな時の会話のひとつのきっかけとしてゲームって使えたりしないのかなと、個人的には思っています。

話のきっかけに積極的にゲームを持ち込んでみる。

できることだったら画面も込みで映像も見せて、そこから始まる対話っていうのには個人的には興味があります。

そうやって会話をするところからゲームで得られるエッセンスって他の人に伝播していく可能性があるんじゃないのかなと個人的には思っています。

むすび

ゲーム内のエッセンスをいかに他者に届けるか

このテーマにどうやって向き合うかというと、まずはやはり話すこと。実際に映像をつけて話すことなんじゃないのかなと思います。

もちろん動画で見ていただくとかいろいろな方法はあると思います。ただ動画もできるのであれば一緒に見るといいかもしれませんね。

で、「これどういうことなの?」とか言われたときに、こちらから「こういうことなんですよ」ってアシストできるようになる。

そうやって対話をすることでしかエッセンスって届かないんじゃないのかなとここ最近は思っています。