高見知英のかいはつにっし(β)

高見知英のアプリケーション開発日誌 のほか、地域活動などの活動報告ブログ。

こどもとゲーム - こどもとデジタル Advent Calendar 2024

ChatGPTが作成したこの記事のマインドマップ

音声版は以下

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こどもとデジタル Advent Calendar 12月4日は、今回、こどもとゲームというテーマでお話をしていければと思っています。

たびたびちえラジChatなどでも触れている通り、自分は山手縁乃庭という場所で、まちのお茶の間子どものフリースペースという、小学生の子どもたちが来て自由に遊べる場の運営サポートをやっています。

何をやっているのかというと、いわばプレイパークの屋内版みたいな感じ。

プレイパークとは屋外で公園とかで自由に遊ぼう、そんな遊び場を作ろうという取り組みです。

それを比較しちゃうとプレイパークの人が文句を言いそうな気もしなくもないんですが、今の子どもにとって屋外の遊びも確かに重要なんですが、同じように屋内の遊びも重要だと思っています。

年から年中いつだって屋外で遊んでられるってわけでもないですからね。

だから、たぶん両方の遊び方があっていいと思うし、両方が仲良くやれる空間っていうのが本当に重要なんだと思います。

縁乃庭にはSwitchもボードゲームもあるので、アナログゲームデジタルゲームも共に楽しめる場という感じになっています。

縁乃庭の今

実際いろんな子どもが集まってきていて、多くない時は5人くらいの子がきている時もありますが、多い時は15人もの子が集まっています。

まちのお茶の間子どものフリースペース

部屋も広い場所ではないので、15人なんか来たらぎゅうぎゅうです。それぐらいいろんな子が来ている場所にはなっています。

そんなところをかれこれ1年以上サポートしていると、自分自身子どもはいませんが、やっぱり子どもとゲームというものは考えなきゃいけないなぁと感じるところではあります。

今の世代のこどもとゲーム

今の世代の子どもにとっては、ゲームというものはほぼ不可欠だと思っています。

特に今回はデジタルゲームについて話を絞ってお話をしますが、基本的には子どもが欲しいなって言ったらすぐに出せるような、そんな体制は欲しいかなと思っています。

もちろん他のものの方が好きだよっていうお子さんもいらっしゃると思いますし、そこはお子さん次第だと思います。

無理にやらせるっていうのはやはり違う。

ただ、いろんな趣味の中のうちの一つとしてゲームを選べるようにはなっていってほしいかなと個人的には思っています。

いろんな「遊び」の選択肢を持ってほしい

たまにやっぱり「ゲームをやらせない方が子どもは健全に育つんじゃないか」とか、「屋内遊びは子どもの健康の発達に良くないよね」とか、そんなことを言う人もいたりはします。

ちえラジChatとか、高見知英のかいはつにっしとか、そういうものを見ていらっしゃる方にとっては、「え?今更そんなことを言う人いるんですか?」って思われることもあると思いますが、やっぱり地域のコミュニティなんかを見るとまだまだそういう人っていっぱいいます。

デジタルゲームは子どもの勉強する時間を奪う敵だ」と憎んでいる人すらやっぱりいます。 やっぱり子どもからゲームを遠ざけようという動きはまだまだあると思います。

ただ、それを引き離すのは多分よろしくないんだろうなと思っています。 子どもさんは本当にいろんな遊びをしてた方がいい。

そしてその中から今一番このタイミングでベストなものはどれっていうのを選べる子になってもらえればいいんじゃないのかなと思います。

例えば昔、コロナ禍の真っ只中なんかでは、どこかの市長が「(こんなところにいるな)家でプレイステーションしてろ」とあちこちを歩き回るみたいなことをやってたなんてこともニュースであげられてたような気がします。

実際あんな時に屋外での遊び方しか知らないと、結局家の中にいても鬱憤がたまるだけで結局外に出て行っちゃうんですよね。

結局屋外にちらちらと出て行って、「あの人たちって周りのこと考えてないよね」とかで文句言われてたのってそういう人たちなんじゃないかなと思うんです。

家での遊び方ってものをあんまり知らない。 だから結局長く家にいると飽きてしまう。そんな人たちなんじゃないか。

あんな時に屋外の遊び方しか知らないと本当結局外出て行っちゃうんですよね。 それはいいことかっていうと多分決していいことではない。

ああいう時には屋内の遊びを選択できるっていうことが多分重要なんじゃないかなと私は思っています。

ゲームからデジタルツールに慣れる という可能性

デジタルゲームをやっているということがコンピューターの知識とか新しいインターネットサービスを扱う上での感覚にすごく影響しているって話も聞いたことがあります。

デジタルゲームやらないっていう子はそこらの高齢者よりパソコンのスキルが低いなっていう話も聞いたような気がしますね。

そういうのもあって結局なんだかんだ言って子どもはゲームと接することがほぼ必須なんじゃないかなって思っています。

そのお子さんが今後ン十年後亡くなるまでに本当に一回もゲームに触れないっていうことは多分ないと思うんです。

であればゲームっていうものが何なのかどう付き合えばいいのかっていうのはそれはなるべく早いうちに知っておいたほうがいいんじゃないのかなって思うんです。

大人のゲームデビューの難しさ

特に大人になればなるほどゲームデビューって難しくなる

友達探して一緒に遊ぼうって言っても遊べないし、ゲーム自体複雑になっていく。

なんだかんだ言ってゲーム自体の参入障壁ってどんどん上がってるって自分は思いますし、操作もどんどん複雑になっていきますしね。

ゲームのコントローラーのボタンだってどんどん数増えていますし、スマートフォンのゲームだったら確かに操作はシンプルかもしれませんが、やっぱり結局やることを含めるとそこそこに複雑だったりして。

頭が柔軟な子どもとか若い世代の人が中心になってるから問題ないけど、ある程度年いってからの参入って結構きついんじゃないかな。

他にも最近のゲームはお金の払い方も多様化しているので、やっぱりお金が不自由な子どものうちにある程度触れておいて、ちょっと課金額無理して失敗するとかそういう経験もした方がいいかなって思ってます。

実際うちのSIDE BEACH CITY.に最初の頃に寄せられた相談ですごかったのが、旦那がもらったお金全部ソシャゲにつぎ込んじゃって困るっていう(妻さんからの)相談だったんです。

お金が自由になる大人になってからゲームデビューすると、その辺の感覚がわからずポイポイと生活に必要なお金をソーシャルゲームだったりなんだったりにつぎ込んでしまうっていうことがあり得るわけです。

だからこそ、早いうちにソーシャルゲームとお金とか、ゲームとお金っていう感覚を身につけておいた方がいいかなっていうのもあります。

コミュニティスペースも今あそびにもっとフォーカスしてほしい

今は本当地域のコミュニティスペース、コミュニティカフェとかそういうようなところでは、何かと昔遊びとか外遊びばっかりがフォーカスされることっていうのが多いなって思いますけれども、個人的にはむしろ地域の活動は適度に今遊び、デジタルゲームとかにも触れていく必要があるんじゃないのかなと個人的には思っています。

そんな子どもとゲームってやっぱり今本当に複雑になっています。 要素もすごく増えてきています。

概念の話で言っても、何歳以上対象っていう枠組みを大まかに決めているCEROっていう仕組みとか、先ほどお話をした課金の仕組みとか、オンラインの仕組みを使ったゲームも多いので、そういうゲームになるとオンラインサービスとの付き合い方とか。

本当に親御さんが考えなきゃいけないことって増えていると思う。

だから「子どもにゲームを与えました。はいおしまい」って言って、親はそこから離れちゃう、手が離れちゃうっていうようなことをするのはもうさすがにありえないのかなと思っています。

お金はどういうふうに扱えばいいのかな。どういう付き合い方をすればいいのかな。

とはいえ課金ゲームに触れないというのも違う

子どもだから課金ゲームは一切やっちゃダメとか、そういうゲームであっても「課金は一切やっちゃダメ」っていうのは違うと思うんですよ。 だってそういうゲームって基本的に楽しかったら後払いでお金払ってねって側面もあると思うので。

「楽しかった、でも課金禁止されてるからお金払えないや」ってのは商習慣的に何かおかしいんじゃないのかなって思うんです。

うちの子はこのゲームやって良いのかな、どうつきあっていけばいいのかな。

そしてその他にも先ほど通りのCEROっていう仕組みとかを見て、このゲームはうちの子やっていいのかな、もし年齢足りてない場合だったらどういう条件を課すべきなのかな、どういうふうにそのゲームと付き合えばいいのかな。

オンラインの仕組みを整えるとしたら自分は何しなきゃいけないのかな。wi-fi が繋がっていれば何でもいいのかなとか。

なるべくそういう通信回線が切れないような仕組みを作らなきゃいけないのかなとか。親も考えなきゃいけないことって多分すごく多いんですよ。

それに一足先にこちらでも始まったゲームを通して学んだことアドベントカレンダー

親と子の会話のひとつに

こちらでも書いている通りゲームって結構そこからしか学べないこと、そこからしか拾い上げられないテーマ、人生に必要なエッセンス。

そういうものってすごく多いと思うんです。

昔は日常にあったことなのかもしれません。 それは自然かもしれないし、近親者の死かもしれないし、戦争かもしれないし、人付き合いかもしれないし。

でも今はそう簡単に触れることができなくなってしまった物事、文化、考え方。

そういうののヒントを得られる可能性が高いのがゲームだと思っています。

記号接地なんていうふうな言葉もありました。ゲームってそういういろんな体験ができるので、いろんな側面で記号接地しやすいものなんじゃないかなと個人的には思っています。

だから可能であれば親御さんもゲームをやって、そういう子どもがやっているゲームについて話しかけられるような、そんな感じになってくれると嬉しいなと個人的には思います。

自分自身も親がゲーム好きで、どちらかというと親のきっかけで自分がゲームにはまるようになったようなものなので。親と子はゲームという接点で会話するってすごく重要なんじゃないかなっていうふうに思うんです。

子どもだけってもちょっと厳しいし、親だけっていうのも厳しいっちゃ厳しいですよね。

だからやっぱり親と子が話せるっていうのがベストかなって個人的に思うんです。

こどもとゲームとこれからの関係

子どもとゲームとの関係って多分今の時代ほぼ必須だと思うんです。

でも子どもだけがゲームについて関わってるっていうのはやっぱりちょっと違うかなと思っています。

親または周りの大人がゲームについてざっくり知っている、あるいはゲームをやっている、そんな環境で子どもと話せる共通の話題の一つとしてゲームっていうのがある

そんな状態になっていくぐらいが必要なんじゃないのかなと個人的には思っています。

親が必ずしもゲームを知らなくちゃっていうことはないと思いますし、周りの大人に頼るというのもありだと思うんです。

でもだったらだったらで周りの人に頼れる体制が欲しいよねっていうところもあります。

どちらにしろ親もある程度は「ゲームってこういうものだよね私はやらないけどね」みたいなそのぐらいのスタンスは最低限持っててほしいかなって個人的に思います。

今後そういうような「じゃあ親はゲームやらないんだけどあるいはやる時間あまり取れないんだけどどういうところから入っていけばいいのかなぁ」みたいなお話もちょっと触れていければいいかなというふうに思っています。

こちらはアドベントカレンダーとしては違うアドベントカレンダーになりますので、この記事をブログとしてとかLISTENの方で追っている方は全然いいんですが、それ以外のカレンダーの方で見ていらっしゃる方はこっちの方もちょっと見て注目していただけるといいかなと思います。

というところで今回のこどもとゲームという話題についてはここで締めたいと思います。