高見知英のかいはつにっし(β)

高見知英のアプリケーション開発日誌 のほか、地域活動などの活動報告ブログ。

別の次元に生きる人たち

昨日2020年2月1日は、横須賀市横須賀市はまゆう会館で行われた、よこすか・ゆめ・みらいのレポート共有会に参加してきました。

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このイベントは、去年8月18日(日)に行われたよこすか・ゆめ・みらいというイベントのレポート共有会。このイベントであがった意見を集約し、主催する三浦学苑高校の人たちがまとめたレポートについて、意見を言い合う形式のイベント。

わたしも、当日は教育という一つの分野の話題にしか関われなかったのですが、こうしてまとめた内容についてディスカッションできること、より少ない人数で話せたことはとても良い体験でした。

今回まとまった内容を、今後のチームの活動に活かしていきたいということで、今後の活動が楽しみでもあります。

普通の高校生、普通の人々

今回のイベントや、去年8月のイベントなどに参加した目的は、まず「素の学生は何を考えているのか」を知りたかったから。

あちこちのコミュニティに参加していると、たまーに中高生を見かけることもあるのですが、プログラミングの能力に優れていたり、はっきりとした目的に向けて動いていたりと、ある種「ふつうじゃない」学生が多かった。

そういう人たちの様子を見ているのはわたしとしても楽しいのですが、おそらく人口的には、そうでない学生さんの方が多いわけで。

まちづくりエージェント SIDE BEACH CITY.としても別に、特別に子どもに向けた活動を行いたい というわけではないのですが、結局地域のこと、これからのITのことを考えていくと、少なくとも中高生くらいまではしっかりと見ていかなければいけません。

学生や、その周りにいる大人たちの様子、考え方、やること、やりたいことをしっかりと見つめ、どうすればその人たちと関わっていけるのかというのは考えていかないといけないな と思っています。

今回のイベントでは、参加者も限られていたぶん、そのような人の様子を知ることができたという意味でも良かったと思います。

また、今回参加していたほかの人たちも、他のコミュニティイベントで出会うような人とはだいぶ違う雰囲気。ああ、こういう人もいるのだなあ、こういう考え方もあるのだなあ というのをあらためて感じます。

普通の人の考え方

このイベントをとおして感じたのは、なんというか「自分や回りの人たちと、あまりにも違う」考え方。なんというか、別の次元に住む人と話しているような、なんともいえない違和感を感じました。

とくにわたしとしては、これでもIT勉強会で会う人の方がたくさん話してきているので、そういう常日頃からITによく触れている人たちの考え方 と、全く違う考え方。

普段なかなか言葉にはしづらいので、とりあえずこういう場では「文系の人たち」と呼んでしまっていますが、あまり正しい表現ではないだろうな(文系でIT勉強会などのイベントによく出てくる人もいるだろうし、自分自身少なくとも理系ではないし)。

具体的にどこが違うのかというと、あまりはっきりとはいえないのですが、物を見るときの視点がより主観的 というか。

以前ふらっとステーション・とつかで明治学院大学の人と話したときと割と近い感覚があったので、文系学科の人ってこういう感じなのかな という気がしたのですが、それだけではないような気もします。

文系学科な(?)人たちと話すということ

わたしは今回のイベントをとおして、わたしのように多少なりともITができる人が、このような、いわゆる「文系学科な人たち(仮)」と話すことが重要なんだろうな と感じました。

もちろん、このような人との対話の機会を捨てて、自分たちの課題解決のために行動することもできます。

ただ、こういう人たちを放ったままでいつまでも進んでいけるか というと、そういうこともないのかな と思っています。

話は変わってSDGsについて

ところでちょっと話しがずれますがSDGsについて。わたしたちNPO法人 まちづくりエージェント SIDE BEACH CITY.は、かながわSDGsパートナーとして、SDGsに関わるイベントを複数開催しています。

直近だと、ことぶき × SDGsというイベントがありますね(個人的には「こんな名前で大丈夫か?」と思ったのですが、どうも問題ないらしい)

www.facebook.com

で、このSDGsですが、元を辿ってみると「温暖化の防止」という側面があるらしい(チラッと聞いた話なので定かではありませんが)。

そして、このSDGsと割とセットで語られる「誰一人取り残さない社会の実現」というテーマ。

なんで温暖化の防止なのに「誰一人取り残さない」なんてテーマが出てくるのかというと、「誰か(SDGs的には国だと思いますが)を取り残した状態だと、その人たちが足を引っ張って目標が達成できないから」だと思うのです。

地域も同じで、「ITの普及」というわたしたちまちづくりエージェント SIDE BEACH CITY.のテーマにおいて、「誰かを取り残す」ということはあってはいけないと思っています。

それは、ITを使えない人たちが、使える人たちの足を引っ張ってしまうから。

例えばITを使えない人のために、ITを使わなくても各種申請ができる仕組みを用意しておかなければいけなかったり、対応窓口を作っておかなければいけなかったり、支払い手段を作っておかなければいけなかったり。

個人のレベルで言えば・・・

個人のレベルで言えば、例えば「家族三代のうち、親だけがガラケー」という状態。

自分の子どもや身の回りの知人友人へのやりとりにはLINEやFacebook、Slackなどと、それぞれに適切な手段を使うことができます。情報についても「このくらいの情報ならあの人も知ってるだろう(知らなかったとして、ググってくれるだろう)」という前提が作りやすいので、話もしやすい。

しかし、ガラケーだとSMSか電話くらいしかつかえず、親に連絡するときだけアナログ主体の連絡手段に固定されてしまう(たとえ家族でも、例えば子どもはMVNO、親はMNOだと、家族割りが適用されないのでSMSは有料ですし*1 )。

実際それのせいか、子どもに「頼むからスマートフォンにしてくれ」と無理矢理スマートフォンにさせられたけど使い方が分からない という人の相談は、ときどきあります。

これも結局、家族・知人というコミュニティの中に、「ITができない人がいる」からこそ起こる問題。

ITって「自分たちだけが使えればいい というものではなく、万人が最低レベルは使えなければいけないもの」なんだと思います。

だから、わたしたちは地域コミュニティと関わる

だから、わたしたちはなるべく多くの地域コミュニティと関わる。ITができない人、ITのことに注意を払わない人を少しでも0にするために。

もちろん体の障害など、どうしようもない理由でITが使えない人もいます。Talkbackなどそのような人たちのためのアクセシビリティ機能も増えてはいるものの、いまだそういう機能が行き届かない範囲、行き届いても使えない範囲というのはたくさんある。

ただ、それでも「ITという手段はあるけど、わたしはこういう理由で、ITと関わらない」とか、「ITが必要な時は、誰々に頼む」とか、そういう選択肢がとれるようにする必要がある。そうしないといつか「わたしたちがその人たちと関わるときに、不必要にアナログな手段を強いられ」たり「そのときに適切な対価を支払われない」ことになってしまう。

ITのことを理解してもらわないと、最後に困るのはIT技術

わたしは常々言ってますが、ITのことをより多くの人に理解してもらわないと、最終的に困るのはIT技術なのだと思っています。

それは自分たちの作ったシステムが使われない という分かりやすい問題だけでなく、それが使えない人のための手段を用意し、運用しなければいけないとか、ITについて分からない人との共通言語が持てないこととか、お互いのITに対する認識から不必要なトラブルが起こるとか、いろいろな理由があります。

ただなんにせよ、自分たちが困る。そして、困るからといって、(ITが分からない人たちを)見捨てるわけにはいかない ということ。

そのためには、このような人と積極的に話し、その考え方を理解し、関わり方を考えることが必要である と考えています。

わたしは、だからこそまちづくりエージェント SIDE BEACH CITY.に関わっているし、ITができる人とできない人の格差を解消するために活動している。

今後とも、このような「自分たちの活動の外側にいる人たちと関わって、考え方を知り、場合によっては変えていくこと」が必要なのだと思っています。

*1:そもそもSMSってシステムの認証に使ってしまうため、個人的には見落としが多くなるのでなるべく使って欲しくない