高見知英のかいはつにっし(β)

高見知英のアプリケーション開発日誌 のほか、地域活動などの活動報告ブログ。

ゲームの中の人種問題 - ゲームを通して学んだこと Advent Calendar

ChatGPTで作ったマインドマップ

音声版は以下

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ゲームを通して学んだことアドベントカレンダー2024、始まりました。

今回は、ゲームを通して学んだことというテーマでいくつか記事を書こうと思ったので、アドベントカレンダーを作りました。

この内容を今収録している時点では、自分一人しかエントリーがいないんですが、他の方もこちらのカレンダーに書き込んでいただけると、うれしいなと思っています。

ゲームで見る人種問題

今回は、ゲームの中の人種問題ということをテーマにしてお話をしていこうかなと思います。

自分が持っているゲームで、人種問題というものが出てきたゲームは、ファイアーエムブレム風花雪月と、戦場のヴァルキュリアと、ファイナルファンタジー10の3つぐらいでしょうか。

ファイアーエムブレム風花雪月におけるダスカー人の場合

ファイアーエムブレム風花雪月には、大陸の北西側にダスカー人という、ちょっと砂漠民族っぽい語られ方をするような民族がいます。

こちらの民族は、物語が始まるちょっと前に、お隣のファーガス神聖王国という国の政変があって、そこで王様を殺害したと疑われている民族です。

世間一般的にはそれがきっかけということもあってか、このダスカー人って信用できない人種だって思われています。

でも、そこは実際そんなことないよということが結構語られていますし、実際このファーガス神聖王国の人たちと行動を共にする分岐を選んだ場合には、仲間としてダスカー人のドゥドゥーという人が仲間になります。

この人は王子のディミトリのすぐそばに仕えている人で、従者という形で常に一緒にいる人なんですが、だからこそディミトリ本人にとっては、ドゥドゥーは全然悪くない、そもそもダスカー人は悪くないっていうような意思をずっと貫き通しているんですけれども、実際本当そんな感じで。

物語の後半になってもドゥドゥーは途中から参戦するんですが、とてもいい人として描かれます。

まあ当然ですよね、ドゥドゥー自身はいい人なので、そもそもダスカー人って全然悪い人ではないので、っていうようなものがまずファイアーエムブレムのダスカー人の描かれ方です。

戦場のヴァルキュリアにおけるダルクス人の場合

そして戦場のヴァルキュリアでもダルクス人*1という人種がいます。

こちらも過去略奪行為をしていた民族というふうに言われている人たちで、そちらのせいで非常に悪く言われている人種です。

そしてこのゲームでは主人公の義理の妹がダルクス人のイサラという人で、こちらのほうはもう一つ複雑にする要素として、ダルクス人に色々とあって差別意識があるロージーという人がいます。

ロージーがイサラにすごく辛く当たるというシーンも多いんです。

それも色々と打ち解け合っていくっていうところもあったりするんですが、これもまた結局イサラとダルクス人の色々って実は関係ないよねっていうようなことが結構ストーリー上で語られます。

これがやっぱりこのゲームにおける人種問題というところにつながってきているのかななんて思ったりしています。

ファイナルファンタジー10におけるアルベド族の場合

あと一つはファイナルファンタジー10

こちらについては割と有名どころのゲームでもありますし、ご存知の方はご存知かもしれませんが、アルベド族のリュックという人が仲間になります。

アルベド族というのは見た目も一応ほとんど他の人種と変わらないんですが、瞳を見ればわかる人にはわかるらしいということで、一応仲間の一人アーロンはリュックを一目見てアルベド族だというふうに見抜いていたようです。

ただ基本的にはそういうじゃない人は意識しないとわからないレベルみたいです。

ただそのアルベド族は、その国の宗教エボン教という宗教で禁止されている機械を日常的に使っているということで、非常に忌み嫌われている人種です。

でもその忌み嫌われている人種のリュックを、そのアルベド族が非常に嫌いなワッカという人は普通に受け入れています。

途中まで本当に仲の良い兄妹のような感じで接していたりするんですね。で、なんでだろうねっていうふうに主人公のティーダは思っていたわけです。

途中からリュックがアルベド人だっていうことがわかった瞬間に手のひらを返したようにワッカの態度が急変して、でもこれっておかしいだろうってティーダは言うわけなんですよね。

結局これもまた人種っていうものをすごく如実に表しているエピソードなんだろうなと思います。

民族・人種はその人の考え方を規定しているものではない

この3つのゲーム全てにおいてやっぱり共通して言えるのは、結局民族というか人種とかそういうのって結局その人の考え方を規定しているものではないっていうこと、そして人種ってすごくイメージで語られがちっていうところでもあると思うんです。

実際このダルクス人もダスカー人もアルベド人も全く世間で言われているようなことをやっている人たちではないし、実はそれぞれ悪いように言われてはいるけれど、実は印象だけでそうでもないよっていうことが物語中で語られる。

それもまた3つに共通する展開だと思うんですけれども、結局人種=本人ではないし、人種のイメージ=歴史の事実でもないよっていうことがこの3つのゲームで語られることだと思っています。

人種で人を語るのはナンセンスではないか

リアルな人種問題においても結構そういうところはあって。

自分は正直リアルな世界の黒人がどういうふうなことをやってきたんだとか、白人がどういうことをやってきたんだとかそういうのはあんまり詳しくは知らないですけれど、ここでダスカー人やダルクス人、アルベド人と同じように人種をもってそれを語ることってすごくナンセンスであるということが分かるように、特に今の時代においていろいろな時間が経って、黒人だとか白人だとかそういうのを区別して語ることって多分割とナンセンスになってきてるんじゃないのかなと思います。

黒人白人とかなると割と歴史的な事実に紐づいちゃってなかなかややこしくなりがちなところだと思うんですけれども、そういうような現実の人種ってものに直接言及せずに、でもちょっと離れた視点で、人種問題ってこういうことじゃないのっていうのを提案する一つのきっかけとして、ゲームってすごくいいんじゃないのかなというのを感じた一幕でもあります。

ファイアーエムブレム風花雪月のドゥドゥーとか戦場のヴァルキュリアのイサラとか、もちろんファイナルファンタジー10のリュックもなんですけれども、非常に物語の中でも中心になってくるところがある人物で、やっぱりそういうようなところを見ると、この人種問題って実はこういうことだったんじゃないのかなっていうのを俯瞰するすごくいいきっかけにはなるんじゃないのかなと思っています。

今回はそういうような話で、ゲームの中の人種問題、人種問題っていうものを俯瞰してみるための一つの選択肢として、こういうゲームというものがあるよという話をしました。

今年のアドベントカレンダーではこのテーマも含めていろんなテーマを語っていこうかなと思いますが、このゲームを通して学んだことアドベントカレンダーを取り上げた回では、基本的にこういうようなゲームを通して学べること、学んだこと、自分がこういう考え方がいいなと思ったことを中心にお話をしていこうかなと思います。

自分の視点ばっかりでもつまらない話にはなってしまいますので、ぜひ他の方もこのゲームを通して学んだことアドベントカレンダーを書いていただければ嬉しいなと思います。

というところで今回の内容についてはここで締めとさせていただきます。

*1:偶然だと思うんですがダスカー人と名前が似てますね