「直感的な操作」とはなんだろう。
先日の日本Androidの会横須賀支部6月定例会の動画や、パソコン教室の録音などを聞いて振り返っているうちに、ふと思いました*1。
最近のスマートフォン、タブレット、パソコンなどデジタル機器のUI指針として、「直感的な操作」というのがあると思っています。ラベルはラベル然としていて、ボタンはボタン然としている。機能のグルーピングは説明しなくてもグループが存在することがわかるように、画面のデザインで訴える。それは、時代がフラットデザインになろうがカードUI基準になろうが、そんなに変わらない「基本的な仕組み」だと思います。その法則があるから、時代時代に合わせてよりかっこよく無駄のないデザインを目指して、リッチデザインだのフラットデザインだの見た目がころころ変わってきたんじゃないかな と思います。
しかし、「直感的な操作」は、本当に万人に受け入れられているのか。
利用者にある「先入観」
今現在のUIにおける「直感的な操作」って、パワーユーザーにとって(一定の・既存のルールに基づいた)直感的だったり、はじめて情報機器を触る(過去端末含め先入観の全くない)人にとっての直感的なので、フィーチャーフォン含め先入観に塗れて暮らしてる一般人にとってあまり直感的ではない。
— 高見ちえたん[15] (@TakamiChie) 2014, 7月 1
今、自分が会ったことのある人は、ざっくりわけると「パソコンパワーユーザー」と「まったくそうでない人」に分かれます。実際はその中間の人も一杯いるのですが、まあそれはそれとして。
引用の通り、現在のUIにおける「直感的な操作」とは、一貫したルールがあり、「それを見て感じ取れる人は」思った通りに操作できるものなんじゃないかな と。故に、過去によく似たパターンを見たことがあって、すんなり新しいルールを感じ取れる人や、そもそもその他のルールを何も知らず、はじめて触ったUIが「それ」である人はすんなり使えるものの、(その前に別の電子機器を触ったときにできた先入観や、現実世界での経験など)さまざまな要因が邪魔してその一貫したルールを感じ取ることが出来なかった人には、すんなりとは使えない。
だからこそ、年齢にかかわらず、過去にフィーチャーフォンやパソコンなどで「電子機器側に合わせた」操作方法を身につけており、かつその先入観を捨てられない人には、スマートフォンは扱いにくいし、せっかく練りに練られたスマートフォンの新しいデザインも、受け入れられない。
でも、過去の先入観を必要に応じて捨てられたり、そもそも先入観が全くない乳幼児なんかは、すんなりデジタル機器を扱うことができるのではないかな と思います。
母なんか見てるとマジでそんな感じがする。
母はゲーム一杯やってるから「今までと全く違うUI」というものを見慣れてるんだ。だから過去機種の変な先入観を持ったりしない。ICONIA TABとNexus 7ですら、「同じだよね」と思わない。だから普通に使えるんじゃないかな と。
— 高見ちえたん[15] (@TakamiChie) 2014, 7月 1
うちの母は、ゲームをよくします。主にRPGなどなんらかのシステムUIを操作してアクションするものが多い。だからこそ「今までと全く違うUI」というものを見慣れています。だからこそ前の機種の先入観で操作をしたりしないし、だからこそICONIA TABもWALKMAN Fシリーズも、Nexus 7もLavie Tab Eも、すんなり使えるし、新しいアプリを紹介してもそんなに苦なく使えている感じがします。
万人に受けるUIとは
身も蓋もない言い方ですが、「そんなものはない」のかなと。
ATMと同じ感覚でタッチパネルに触ってくれる人もいますし、スマートフォンにフィーチャーフォンの感覚を持ち込もうとして受け入れないという人もいます。
人の数のぶんだけ常識はあります。過去の先入観を必要に応じて捨ててくれるような人には、時代に合わせたシンプルなUIでも受け入れてくれるだろうな と思いますが、そういう人は割と何をしても受け入れてくれると思う(もちろん、それでも受け入れられないUIはあると思いますが、それは論外というヤツで)。
だからこそ、デザイナーは「このUIなら受け入れてもらえる」とかいうふうに期待しないほうがいいのかもしれません。そのためにゲーム等なら必ずチュートリアルがありますし、取り返しのつきづらい動作はしっかり言葉で表現しているではないですか。
文字情報以外は、伝わらないと思ったほうがいい。文字をどうしても入れられないシチュエーションではちゃんとチュートリアルを入れる必要がある ということかもしれません。
まあ、それも相手によっては言語が違って通じなかったりすることもあるので、言語とイラストの両方で伝える努力だとか、一度正解の操作を見せてみるとか、そういう作業が必要になるのかもしれませんが。
誰かに「デジタル機器を活用してほしい」としたら
「必要に応じて先入観を捨てられる人になってもらうこと」と「それがデジタル機器の世界において、重要であると理解してもらうこと」じゃないかな。
必要に応じて先入観を捨てられる人になってもらうことは、特に進歩の早いデジタル機器の世界では重要です。いままでと同じ端末、いままでと同じサイト、いままでと同じアプリを使っていても、ふと全く違う操作方法が必要になってくるときが来る。そんなときに、今までの使い方という先入観を捨ててまったく新しい視点で物を見られるか。それがデジタル機器をちゃんと活用できる人になり得るか、そうでないかの分かれ道になるのではないかな と。
それでいてかつ、「自分の活動に、デジタル機器の活用が不可欠である」というのがわかれば、自然とデジタル機器を活用してくれるのではないかと思います。
OSのバージョンアップ
ところで、母が複数機種のタブレットをすんなり使えているのは、(特定機種における)OSバージョンアップが原則ないAndroidだからというものもあるかもしれません*2。
別の機種だから操作方法が変わる というのは体感的にわかっても、同じ機種の操作方法がある時を境にゴロッと変わってしまう とかであれば、受け入れるのは難しいかもしれない。
そう考えるとiPhoneやiPadは原則よほど古い端末を除いて自動アップデートなので、その辺は結構障壁になり得るのかもしれないですね(そういえば父はiPadを使ってますが、初期のものなのでiOS6のままだった)。iPhoneは特に、徐々にAndroidの複雑な面を取り入れて複雑化していますので、パワフルになるのは良いのですが、パワフルでないからこそiPhoneを使えていた層が置いてけぼりを食いそうだなあ。