わたしは、ゲームというものはとても勉強になるものだと思っています。マンガよりもビジュアルに訴えられるし、小説よりも非日常の世界を表現しやすい。自分はそういうゲームを通して多くの点で(精神的に)成長出来たんだろうなあ と思っています。
この間少し息抜きにゲームをしていたときのこと。ふと昔母に言われた「いくらゲームでも怪我しないで済むならしない方がいいでしょう?」という言葉を思い出しました。昔のことなのであまり覚えていませんが、当時自分が、RPGで結構無茶なプレイをしていて、それをたしなめるために言われた言葉だったと思います。
ただ、それ以来自分はゲームでもなんでも自分たちの被害がなるべく少なくなるように行動するようになったし、他人のこともちゃんと気にするようになったんじゃないかな と思います。まさに「ゲームを通して成長した」エピソードの一つだったのかな と。
自分の場合、それを促したのは母だったと思います。母がこういう言葉をかけていたからこそ、自分はゲームを「成長する手段」の一つに使えたんだろうなあ と。
今考えると、それは母が自分以上にRPGをよくやるし、上手かったからだと思う。RPGというものを理解して、最適なやりかたを理解していたからこそ、自分にああいった助言をし、成長する手段にすることが出来た。
「ゲームというものは成長する手段に出来る」と自分は思っていますが、成長する手段に変えるためにはそのままじゃダメで、ああいう風に、誰かが導く必要があるのかなあ 等と思いました。
読書や映画だとか、別のジャンルのものもそうかもしれない。それぞれのものを「成長する手段に変える」、いわゆる「教育に活かす」には、活かそうとする側がそのジャンルのことをよく理解していなくてはいけない。
たしかに「ゲームは教育に活かせる」かもしれない。
とはいえ、実際にそれを活かせる人、子どもを「ゲームを通して成長出来る子」に育てられる人はとても少数なんだろうなあ などと思いました。