高見知英のかいはつにっし(β)

高見知英のアプリケーション開発日誌 のほか、地域活動などの活動報告ブログ。

「難しい」という言葉

パソコン等について他人からよく、「難しい」という言葉を聞きます。
内容はメーリングリストへのメール送信だったり、ラベル屋さんHOMEでの名刺作成だったり、実際やってみると全然難しくはないものの、触る前になんだか「難しそう」ということになったりする。

じゃあ今やっていることはというと、Wordにサイトに載っている寸法を元にしたテンプレートを作成して名刺を作ったり、メール関係者全員をTOに突っ込んでメール送信だったり、むしろ「難しい」といってたことより難しいんじゃないか? という内容だったりするのですが。


そういえば現在再放送中の翠星のガルガンティアでもそんな言葉があった。詳しい文言は覚えていないのであやふやですが、冒頭戦場しか知らない主人公のレドが、自分の意思で生活すること、自分の意思で食事をすることなどを、「自分には難しい」と表現していた。


たぶん、これは地域の人がパソコン等の機器に抱いてる「難しい」と同じなんだろうな。自分がいつもやっていることとは違うことを「難しい」と思う。実際難しいのかどうか、今自分ができることと比較して難しいのかどうかはあんまり関係なく、「自分が経験したことのないこと」で、かつ「思考を必要とする」こと、「自分の専門分野でない」こと、その条件が揃ったときに、「難しい」と感じる人がいるのかもしれない。


逆に言えば、未知のものに「とりあえず触れて」みて、とりあえず自分の知識の中からやれるだけ考えてみる そうすれば案外難しいものってないのかもしれない。いや、それでも難しいものというものはいくらでもあるのだけども、とりあえず物事をはじめてすぐのうちに出会う「難しいな と思うこと」は案外その気持ちだけで解消できるのかな と。