高見知英のかいはつにっし(β)

高見知英のアプリケーション開発日誌 のほか、地域活動などの活動報告ブログ。

昔話

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 N-BASICか…、そういえば、小学校の教科書だったか、コラム1,2ページ分とって、簡単なプログラムコードが載ってたなあ…、なーんとなく意味は分かりましたね、コードが半角カタカナだったので(一応5才までアメリカいましたので、linetoとか言われても、意味は分かったと思いますが(^^ゞ)。
 プログラムといえば、わたしはRPGツクール SUPER DANTEなんかやってましたねえ、上から下へフローするという、プログラミングの基本の"き"は、ここでも同じでしたから、これでも立派なプログラミングといえたでしょう。違うのは、ifとかforがなかったってことかな。これが95年、小学五年生の頃。
 ――結局、RPGツクールは4までやってました(自分には合わないと判断してやめた)、それからふつうのゲームにばっかり手を出してた時期が一年、そして、VBと出会って、そのまま浪人して、MediaBarまで作っちゃって、VBからDelphiに乗り換えて、現在に至る――という感じ。


 わたしの場合、本当に家庭に恵まれていました(端から見ると恵まれてるかどうか微妙でしたが(^^ゞ)。父はサラリーマンですが、母がゲーマーでしたので。
わたし自身がゲームを買うと言えば、ツクールくらい、ほかは母が買ったものをあとでやるという感じ。ゲームはものによっては最良の教師になり得ますからねー、いろんな方面で勉強できましたよ。多分精神的なとこへは、ゲームがかなり影響してると思います。
PCやるようになってからも、先の通り、母のゲームプレイ風景をかなり見学させてもらっているので。おかげさまでストーリーだけならいえる程度のものもたくさん。
――その後、PCにかじりついてても、一浪しても、文句は言われなかったです。かえってそれをプレッシャーと感じるくらいでした。まあ、結果としてあの期間があったからこそ、このレベルに達しているわけですが。学校に行きながら余暇を利用してやってるだけじゃ、きっとここまではこれなかったろうな。

 ま、わたしのただ一つ、困ったことと言えば、誰とも話が合わないことくらい(^^ゞ
父は会社でちょっとPCをいじる程度。母も、たびたびわたしがゲーム関連で検索を任されるのからも分かるとおり、ぜーんぜん。
学校でもプログラミングは初めての人がほとんどでしたので、ちょっとした悩みがあったりしても、はなせませんでしたね、独り言がやたらと多いのも、きっとこのせいだな(人のせいにするのは、よくない)。
情報系の学校と言うから、「ここのループ関数が扱い難しくて…」「ここは再帰でやった方がいいよ」みたいなことを素ではなせるのかなーと思いきや…(^^ゞ


 そういえば、みーぽんさんのブログに、将来情報系学科を薦める書き込みがありましたが、個人的にはそれも、結構かんがえたほうがいいと思います。
現状やはりフリーソフトを自分の腕で作れちゃうって言う人は、やはり特殊なんです。
わたしも、インターネットではあんなにたくさんいたはずのオンラインソフト作者を、現実では一人も見たことないのですから。小学生時代からあれくらいのソフトを作っていた――となると、多分一般の情報系学科の生徒と話が合うことはあまりないでしょう。
どうせそんなにプログラミングの経験があれば、そのうち初めての言語でも、読んだだけでやりたいことだけは分かるくらいにはなると思いますから、未知の言語でもいまいち勉強する気にはなれないでしょうし。それは多分、技術が進歩したとしても、今後当分は同じだと思います。そんなことなら他方面で自分を磨いた方がましかも、なんて思っちゃいますね。
うちの先生の話だと、今後プログラマすら要らなくなるかも知れないなんて説も出ていましたし*1、正直プログラミングの世界なんて今後どうなるか分かりませんが――。

*1:わたしが、仕様書を見せると適当にプログラミングしてくれるAIを考えたので、そこから話が発展していって――