高見知英のかいはつにっし(β)

高見知英のアプリケーション開発日誌 のほか、地域活動などの活動報告ブログ。

パソコンを使えるようになるために

「パソコンを勉強するには、どれくらい時間がかかりますか?」

先日こんな質問を受けました。

「パソコンの使い方を覚える」というと、地域の方の多くは、既存のパソコン教室のようなものに通うことを連想するので、どうしても「どれくらい時間をかければ勉強できる」という発想になりやすい。

正直自分としては、パソコンが使えるようになるというのは自転車に乗れるようになるようなもので、どのくらい時間をかければいいかなんて人それぞれだと思うのですが、知らない人からすると時間で話をしたくなるらしい。

まあ、パソコンに限らず、 知らない分野については時間で把握したくなるものなのかもしれませんが。

今のパソコン教室のやりかた

ところで、以前何も知らない人のふりをして、近所のパソコン教室の無料相談会にこっそり行ったことがあります。今のパソコン教室ってどういうことをやって、どういう勉強をしているのか。

それを聞いていると、未だにWordやExcelのような、基本的なソフトの使い方や、特定のワークシートの使い方を勉強する という、昔ながらのパソコン教室 という感じです。

ちょっと前、コワーキングスペース併設のパソコン教室 というものがあり、そちらで作業しつつ少し様子見をしていたのですが、内容的にはそんなに変わらなかった感じ。

やはりこういう「型どおり」の教え方が、今のパソコン教室なのかなあ。

「型どおりに覚える」ことの意味

ただ、パソコンの使い方を型どおりに覚えることって、今の時代意味はあるのか?

型どおりに覚えている人は、全くといっていいほど応用が利かない。

WordやExcelは使えるけどGoogleドキュメントやGoogleスプレッドシートは使えなかったり、決まったソフトの使い方は分かってもWebフォームは入力できなかったりして。そういう応用の利かない覚え方をしている人を、何遍も見てきました。

そういう人がすべてパソコン教室で学んできた というわけではないと思いますが、今の時代にそんな応用の利かない覚え方をすることに、果たして意味はあるのか?という気もします。

これからの時代、まさかWordやExcelだけ使えればいいという仕事が残るとは思えないし、これらソフトの画面構成が今後変わらないとも限らない。

「画面のどこをクリックすればどう動く」ではなく「このようなアイコンのボタンはこのような動作をする」とか「このような表現はこういう意味を持つ」とか、そういう学び方をしなければ、これからの時代意味がない気がするのですが、未だに「パソコンを勉強する」というと、こういうことになりがち というのを、話を聞いていて感じます。

まあ、そういう「使い方ではなく、意味を覚える」という教え方ってとても難しい というのは、分かるのですが。身につくかどうかは人によってしまうので、なかなか既存のパソコン教室のように、毎月固定額で教える ということにもしづらいでしょうし。

パソコンは車みたいなもの

パソコンはインターネットを走る車みたいなもの、中の機器を見てもしょうがない。道路を見て運転をしないと と、自分のパソコン相談受付などでは常々お話ししています。

ソフトの画面構成は常に変わるし、新しいサービスも、ユーザーインターフェースも、どんどん出てくる。だから型どおりに覚えるのは無意味だし、意味を理解してもっと「しなやかに」パソコンの使い方を身につける必要がある。

画面を見て「今自分に必要なものは何か、自分がしたいことは何か」を考えて、パソコンを適切に「運転」できるようになってほしい。

それは個人のパソコン相談受付でも思っているし、まちづくりエージェント SIDE BEACH CITY.でもそのように思って講座をやっている のですが、なかなかそれを遠目に見て理解してもらうのは難しいですね。