高見知英のかいはつにっし(β)

高見知英のアプリケーション開発日誌 のほか、地域活動などの活動報告ブログ。

パソコンは「覚える」ものじゃない

ちょっと前に見かけたものより

japanese.engadget.com

内容はおいといて、わたしが気になったのはこの一文。

「先生、パソコンを覚えたくなくてiPadを買って習い始めたのに、パソコンのようになるんですか」

パソコンを「覚える」というのは、正直わたしもパソコン相談受付やっててよく聞く言葉なのですが、そのたびになんだか違和感を感じるのです。

そもそもわたし、パソコンの使い方を覚えたっけ?

パソコンの世界はいつだって「変わる」

わたしは、パソコンやスマートフォンのことをよく「インターネットの町を走るための車やバイク」と表現することがあります。

インターネットの様子はいつだって変わります。サイトのリニューアルや機能の追加・統廃合、仮にサイトが変わらなくても、利用履歴や他のユーザーアクティビティによって画面の見た目はころころ変わる。

だからパソコンやスマートフォンを「覚える」というのは割と というか、かなり 無意味かな と。

大事なのは デジタル空間を「見通す」視力

それよりも必要なのは、デジタルな世界を見通す視力のようなものなのかなと。デジタル空間にはどのようなものがあって、どれが触れて、どれが触れないのか、どういう構造になっているのか、それを見る力が必要だと思っています。

人間はそれを自然に獲得できるわけではないため、どこかしらでその視力を持つ必要があるのではないかなと。パソコンやスマートフォンが産まれた頃からそばにあったような、2010年代以降の子どもたちには、それが自然と身についていることもあるようですが。

パソコンやスマートフォンを「覚える」という感覚をどう覆すか

わたしは、最近パソコン相談受付では、どうやったら「パソコンは覚えないと使えないもの」という観点を変えられるか ということを考えています。

たとえばアイコンや用語の意味など、「これをしたいときは、この辺を探せば良い」「このアイコンは、こういう意味がある」「このボタンを押すと、こういう動作をする」というような知識を知ってもらい、その場その場で判断するための知識を持ってもらう ということが必要だと思っています。

まあ、言ってわかるのであればたいしたことはないのですが。

パソコンは「覚える」ものじゃない

覚えようとすると、その範囲外のことは使えなくなってしまう。それは新しいものがどんどん出てきて、古いものがどんどん消えていくパソコンやスマートフォン、インターネットの世界では、無意味なことかな と。

とくにそれは、パソコンやスマートフォンで既存のアプリやサービスを「使う」だけの使い方ならともかく、アプリやサービスを作ったり、動画や音楽などのデジタルコンテンツを作ったりする側にまわるかもしれない と思えばなおのこと。

だからこそ「覚えよう」とさせないやり方が必要なんだろうな と、最近思っています。