高見知英のかいはつにっし(β)

高見知英のアプリケーション開発日誌 のほか、地域活動などの活動報告ブログ。

スマートフォンで「スマートに」ならなければいけない人たち

先の記事を書いていて思いだしたのは、「スマートフォンは使う人がスマートにならなければいけない」という言葉。考えてみると、この言葉はある意味正しいと思うのです。

スマートフォンはユーザーで繋がる端末」だと、いままであちこちの勉強会スライドで言及しました。そして今のユーザーはユーザー同士の対話になれておらずコミュニケーションがうまくできていない と。

ユーザーは人にものを聞く際の聞き方を身に付けなければいけないし、自分でものを考えないといけない。いままで企業やお店相手でしかほとんどやってこなかった(かもしれない)人に聞くという行為を、今度は自分の隣人かもしれない人に向けてやらなければいけない。その点ではユーザーは「スマートに(=賢く)」ならなければいけない。


わたしが好きな言葉で「科学が進歩するときには、それと同じだけ、人間の心も進歩しなければいけない」というのがあります。スマートフォンが携帯電話の進歩の形の一つだとするなら、やっぱりそれを使う人間はなにがしか「進歩」する必要があるのかなと。
もちろん一般的に今のスマートフォンに言われているようなユーザーインタフェース面のスマートさではないと思いますが、どこかしら賢くならないといけないんだろうな、と思います。