
今回も毎日やっているちえラジChatより、今週一週間の配信内容を中心にお届けします。
なお前回のとおり、AIの原稿はこちら。気になる方はご覧ください
今週のちえラジChatは、AI活用の持論から始まり、中学生向けプログラミング授業の振り返り、SBCast.のゲスト回の感想、科学系ポッドキャストの日への参加、そして週替わりテーマ「ゲーム」の話と、かなり盛りだくさんな一週間でした。
話しているときには、その都度「今日のテーマ」だけに集中しているつもりなのですが、こうして一週間をまとめて俯瞰してみると、自分の中で共通して流れている関心――AIとの付き合い方、プログラミング教育と地域、若い世代と地域活動、日常に潜むテクノロジー、そして大人とゲーム――が、一本の線のようにつながっているのを感じます。
月曜日:自分の分身「AIシャドウサーバント」の可能性
月曜日は、自分のAI活用論について。
「シャドウサーバント」とは、ゲーム『ロマンシング サ・ガ』に登場する、自分と同じ行動をする影を作り出す術のこと。
自分が話したポッドキャストや日々の録音をAIに渡して要約してもらうと、内容としては同じなのに、視点や強調ポイントがわずかにズレた言葉が返ってくる。その「ズレ」が、とてもおもしろいと感じています。
このズレのおかげで、告知や発信の射程が少しだけ広がる感覚があります。自分が正面から話していると届かない相手にも、AIが生成した少し角度の違う文章なら届くかもしれない。告知力が2倍とまではいかないけれど、1.2〜1.5倍くらいにはなっているのではないか、という実感があります。同じテーマを、少し違う角度から繰り返してくれる「影の分身」がいることで、情報発信の厚みが増していく。そんな手応えを、ここ最近ずっと感じていました。
一方で、AIに任せきりになる怖さや、AIが永遠に今のように使い続けられるとは限らないという不安も、同時に抱えています。エネルギー消費の問題や、法律・規制の問題によって、技術的な限界とは別の理由で、急に使えなくなる可能性だってある。その意味では「AIに頼り切らないで、自分の足でも立てるようにしておくこと」が必要だと、授業でも伝えましたし、自分自身にも言い聞かせているところです。
それでもなお、今のところAIは、自分の活動をもう一度別の形に映し出してくれる「シャドウサーバント」として、とても頼もしい存在です。影があるからこそ、逆に本体の輪郭がくっきり見えてくる。そんなふうにAIを位置づけながら、今後も試行錯誤していきたいなと思っています。
- 自身が推進するAI活用法について、「AIシャドウサーバント論」という独自の考え方を提唱した。
- AIを使うことで、自分の活動の告知力が1.2倍から1.5倍に増える可能性があると感じている。
火曜日:今の中学生のすごさと「その先」がない問題
火曜日は、今年も担当した緑園学園の「表現未来デザイン科・プログラミングBコース」の振り返りをたっぷり話しました。
この授業は、1〜3年生(7〜9年生)の混在クラスで、全5回・合計10時間。1日目はScratchでFizzBuzzを作り、2日目でJavaScriptに移行し、3〜5日目は自由制作という構成です。ここ数年続けて担当していることもあって、ある程度の流れは見えているつもりでしたが、今年は良い意味で期待を裏切られました。
特に驚いたのが、オリジナル作品の多さです。去年までは数人だった「完全オリジナル作品」が、今年は二桁に増えました。ボタン連打で100m走をするゲーム、ピンポンやブロック崩し、15パズル、横浜市にちなんだタイピングゲーム、Three.jsを使った3Dゲームまで出てきて、「これサンプルで見せたっけ?」と首をかしげる場面が何度もありました。AI(主にGemini?)をうまく使いながら、自分なりにコードを読んで、試して、壊して、直して……と、どんどん進んでいく中学生たちの姿には、本当に圧倒されました。
しかし今回、授業そのもの以上に重くのしかかってきたのが、「この先がない」という現実です。授業の中で火がついた生徒たちの情熱が、学校の外に出た途端に行き場を失ってしまうのではないか。近くにCoderDojoのような継続してかかわれる的な場はなく、地域の図書館やコミュニティハウスにも、プログラミングを「当たり前の遊び」として触れられる場はほとんどありません。インターネット上には情報がたくさんありますが、その情報にたどり着くためのキーワードや「入口」を教えてくれる大人がいないと、そもそも検索のスタート地点に立てません。
今回、AIがまとめてくれた言葉の中に「学校は点火装置になっているのに、地域が消火器になってしまっている」という表現がありました。このフレーズを読んだとき、自分の中で何かがカチッとはまった感覚がありました。授業を通じて点いた小さな火を、地域側がそっと守り、少しずつ大きくできるような場を用意できていない。それどころか、「そんなことやっても役に立たない」「危ないからやめなさい」と、水をかけてしまうことすらある。その構造を変えない限り、いくら学校で良い授業をしても、長い目で見たときのインパクトは限定的なのではないか――そんな危機感が強くなってきています。
だからこそ、NPO法人まちづくりエージェントSIDE BEACH CITY.として、自分たちがどんな場所をつくっていけるのかを、もっと真剣に考えなければならないと改めて感じました。普代村での活動ともつなげながら、「情熱の火を消さない地域のあり方」を、これからも探っていきたいと思います。
- 横浜市内の義務教育学校(緑園学園)で行われた中学部向けプログラミング授業の講師を務めたことについて振り返りを行った。
- プログラミングBコースでは、1日目にScratch、2日目以降にJavaScriptを扱い、自由制作を進めた。
- 生徒たちのオリジナル作品の多さや、高度な3Dゲーム制作など、中学生の応用力の高さを実感した。
- 生徒たちがGoogle for Educationを通じてAI(Geminiなど)を積極的に利用し、学習や制作に役立てていることを確認した。
水曜日:見知らぬ若者たちが地域でチームになる驚き
水曜日は、SBCast. #155「のろし 若者による地域活性化団体」峯川大さん回の振り返りをしました。
峯川さんたち「のろし」は、ボランティアマッチングサービス「アクティボ」を通じて、千葉に関わってみたい20〜30代を集め、Zoomで面談し、その人に合ったチームを編成して現地に送り出すという、なかなか聞いたことのないスタイルの団体です。正直に言うと、話を聞きながらずっと「え、これ本当にできるの?」と驚きっぱなしでした。
特に心に残っているのは、「メンバー同士が現地に行くまでほぼ面識がない」という点です。普通、地域活動のチームを組むときには、もともと友人関係があったり、同じコミュニティに所属していたりと、「事前に顔見知りである」ことが多いと思います。でも「のろし」では、ほぼ初対面同士の若者たちが、千葉の現場で出会い、その場でチームとして動き始める。その背後には、Zoom面談での丁寧なヒアリングと、峯川さんの相当な「編成の腕前」があるのだろうと想像しました。
シフト管理ツールや人員配置の最適化の話は、企業の世界でもよく聞きますが、「のろし」がやっているのは、単なるシフト表づくりではありません。
「この人は、どんなテーマにワクワクするのか」「どのくらいのコミットなら無理なく続けられそうか」「どんな仲間がいると力が出しやすいか」――そんな要素を総合的に見てチームを組み、しかも「所属している」という感覚がちゃんと育つレベルの運営ができている。その話を聞きながら、「これ、営利企業でもなかなかできていないレベルのことでは?」と感じざるをえませんでした。
同時に、「こういう入口がもっと各地にあってほしい」という気持ちも強くなりました。若い人が地域に関わりたいと思っても、いきなり単独で飛び込むのはハードルが高い。そのときに、「のろし」のような「入口を設計してくれる存在」があると、地域と若者のあいだの距離がぐっと縮まります。現状、同じような仕組みを持っている団体はそう多くはない印象ですが、だからこそ、「のろし」の実践を丁寧に言語化して他地域に広げていくことに、大きな意味があるのではないかと感じました。
- 峯川さんがボランティアサービス(アクティボ)で募った面識のない人を、Zoom面談を経て最適なチームに編成する手腕に驚きを示した。
- この編成スキルは、コミットできる時間や分野の好みを考慮に入れており、営利企業でも稀に見るほどの高さだと評価した。
- 「のろし」のような、若い人が地域に関わるための入り口となる場所がもっと増えるべきだと提言した。
木曜日:科学系ポッドキャストの日と「ヌル点」の話
木曜日は、以前から気になっていた「科学系ポッドキャストの日」に、ちょっとだけ乗ってみることにしました。
今回のテーマは「ゼロ」。自分の頭に真っ先に浮かんだのが、携帯電話やアンテナの世界で使われる「ヌル点」という言葉でした。かつて携帯電話の試験をしていた頃に耳にした専門用語を、改めて取り出してみる機会になりました。
ヌル点とは、ごくざっくり言えば「電波の入力がゼロになってしまう場所」のことです。アンテナの向きや形、反射の仕方などによって、電波同士が打ち消し合い、ぴったりゼロに近くなってしまう領域が生まれます。携帯電話の世界では、その特性を理解した上でアンテナ配置を考えたり、測定するときに気をつけたりするわけですが、日常生活の中ではあまり意識されることはありません。
とはいえ、「意外と身近なところにヌル点は潜んでいる」と感じる場面もあります。たとえば、FeliCaやNFCを使った決済や改札の通過。スマートフォンを決済端末にベタっとくっつけたのに、なぜか反応しない。少し位置をずらすと、急にピッと通る――そんな経験をしたことがある人も多いのではないでしょうか。あれは、まさに端末とスマホのあいだで「ヌル点」にぴったり重なってしまっていた可能性があります。
おサイフケータイやApple/Googleロゴのあたりが「アンテナのだいたいの位置」ではあるものの、そのど真ん中が、場合によってはヌル点になってしまうこともある。そう考えると、「少しだけ位置をずらしてみる」という単純な工夫が、決済トラブルを減らすヒントになるのではないかと思います。
- 科学系のテーマとして、携帯電話の通信技術に使われる「ヌル点」について解説した。
- ヌル点とは、電波の入力と出力が互いに相殺しあい、受信感度がなくなる領域を指すと説明した。
- FeliCaやNFC(おサイフケータイ)などの通信において、ヌル点で通信すると決済などがうまくいかない場合があるため注意が必要だと述べた。
金曜日:大人がゲームを知ることは、子どもとの共通言語を持つこと
金曜日は、「大人こそゲームに関心を持つことが必要」という、ちえラジChatでも何度も繰り返し話してきたテーマを、あらためて言葉にしました。
自分はゲームが好きですし、ゲーム系ポッドキャストもよく聴きます。それでも実際に人と話していると、「ゲームは全然やらない」「昔試したけど自分には合わなかった」という大人に出会うことも少なくありません。最近では大学生・若者向けのポッドキャストを聴いていても、「ゲームはやらない」という20代が普通にいたりして、「今の世代にもこういう人がいるんだ」とちょっと驚くこともあります。
もちろん、趣味は人それぞれなので、「ゲームを楽しめるかどうか」自体は、別にそれほど問題ではありません。ただ、自分がどうしても気になってしまうのは、「子どもや若者と関わる立場の大人が、ゲームにまったく触れていない場合」です。山手縁乃庭まちのお茶の子どものフリースペースに来る子どもたちを見ていても、ゲームは間違いなく彼らの日常の一部です。そのときに、「自分はゲームを知らないけれど、なんとなく印象で口出しする」状態になってしまうと、子どもの遊びを正しく理解したり、一緒にルールを考えたりすることが難しくなってしまいます。
例えば、「ゲームは1日1時間まで」というルールを決める家庭はよくありますが、そのルールをどう運用するのかがとても重要です。単に時間が来たから「もうやめなさい」と言うのではなく、「この試合が終わったらね」「このステージをクリアしたらセーブして終わろう」という、ゲームの文脈に沿った区切り方を提案できるかどうか。山手縁乃庭でも、そういう提案をするようにしているおかげか、「まだやる!」と大きく荒れてしまうケースはほとんどありません。
こうした「ゲームの中の時間の流れ」を理解するためには、自分自身が少なくとも一度はゲームを触ってみる必要があると感じています。
そして、これは子どもとの関わりに限りません。大人同士のコミュニティでも、「ちょっとみんなでゲームしませんか?」と言える空気や場が、もっとあっていいと思うのです。ボードゲームでも、パーティーゲームでも、オンラインゲームでも構いません。リアルの場でも、Discordなどのオンラインでも、「一緒に遊びながら、ゆるくつながる」体験を共有できることは、大人にとっても大きな意味があります。
結婚・仕事・子育て……とライフステージが進む中で、ゲームから離れてしまう大人が多いのはよくわかります。それでも、どこかのタイミングで「子ども目線」や「若い世代の文化」に触れなおすために、ゲームがひとつの入り口になり得るのではないか――そんな思いを、改めて言語化した回でした。
自分としては、「全員ゲーマーになってほしい」とまでは思っていません。ただ、「ゲームをまったく知らない大人」ではなく、「ゲームについて最低限の共通言語を持っている大人」が増えてほしい。そのほうが、きっと子どもたちにとっても、地域にとっても、そして大人自身にとっても、楽しい社会になるのではないかと感じています。
- 子どもに関わる大人が、ゲームの文脈に沿った「次の試合が終わったらね」といった円満なやめどきの提案をするために、ゲーム経験が必要だと主張した。
- 自身が関わるフリースペースでの実例として、ゲームの文脈に沿った提案をすることで、子どもたちがスムーズに遊びを終えていることを挙げた。
- 大人同士でゲームを気軽に楽しめるようなコミュニティ空間がオンライン・オフライン問わず増えることを望んだ。
まとめ
今週のちえラジChatは、デジタルとリアル、学校と地域、大人と子どもといった、異なる領域をつなぐためのヒントがたくさん詰まっていました。
どのテーマにも共通しているのは、「知らないままにしない」「興味の火が消えないように見守る」「入口をつくる」という姿勢だと思います。AI、プログラミング、地域活動、科学、ゲーム――それぞれに詳しい人はたくさんいますが、それらを「つなぐ人」「入口を整える人」は、まだまだ足りていないのかもしれません。自分自身は、その「つなぎ役」「入口づくり」に、これからもこだわっていきたいと改めて感じた一週間でした。
このブログを読んで、どこか一か所でも「ここ、自分も気になるな」「ここだけもう少し深く知りたいな」と思ってもらえたらうれしいです。その小さな引っかかりが、新しい一歩のきっかけになるかもしれません。
- 中学生の学習能力への驚き: プログラミング授業の生徒たちが、わずか数日で先生が不要なレベルまで達し、サンプルを超えたオリジナル作品を多数生み出すなど、その応用力とレベルの高さに感銘を受けました。
- プログラミング教育の正しさ: 中学の授業レベルでは、論理や公式を一から学ぶよりも、まずプログラミングを体験して「楽しい」と感じ、後から理屈を学ぶアプローチ(自身の担当したプログラミングBコース)が現代に適していると感じました。
- AI活用による告知力の増幅: AIを使うことで、自身の告知力や影響力が1.2倍から1.5倍程度に増幅される可能性があると感じました。
- 地域社会の課題: AIが紡いだ言葉に共感し、「学校が点火装置、地域社会が消火器」という現状、つまり学校外にプログラミングを継続して学べる環境が存在しないことに危機感を抱きました。
- 若者による地域活動組織の手腕: SBCast.で取り上げた地域活性化団体「のろし」の峯川さんが、面識のないボランティアをリモートで集め、コミット時間などを考慮してチーム編成する手腕は「ただもんじゃない」と感じ、広く解析・導入されるべき事例だと感じました。
AIまとめ考
今回はGeminiがまたブログ記事を三人称で書いていましたので、曜日ごとのタイトルは一部Geminiの出力したものを使っていますが、記事はほとんどChatGPTのものです。一応プロンプトには「一人称で書いて」という記述は残しているのですが、時々忘れ去られてしまうのがGeminiの傾向のようです。ChatGPTではそのようなことは全くないのですが…。
一方ChatGPTの方は火曜日の長い文章を読んだときに筆がのってしまったのか、火曜日以降の記事が既定の四段落を超えています。一応ブログの方ではそこまで関係がなさそうな段落を削っています。もし全文を読みたい方は記事冒頭に書いてあるAI問答メモのリンクをご確認ください。