高見知英のかいはつにっし(β)

高見知英のアプリケーション開発日誌 のほか、地域活動などの活動報告ブログ。

終りに見た街

今日やっていたテレビですが、なぜかキーワードになってますね。前もやってたのか…。

さて、みさせてもらいましたが、最終局面直前までは面白いと思います。現代世界の家族が昔にタイムスリップしてしまったというお話、現代と昔の対比が上手く描かれているなと思いました。今年はさすが、戦争を取り扱ったドラマが多かったですが、どれもこれも上手く当時の様子が表されていて、良いと思います。

さて、直前まで、といっちゃったのはなぜかというと…。最後にあんなことになっちゃったからです*1なんというか、問題提起型のドラマで陥りがちな罠といいますか、とりあえず問題提起だけして終わっちゃうというタイプ。ゲームにもありますね、なんというか、振り逃げっていうのかなぁ…。


いえ、いいんですよ、問題を提起するのは。
テレビやゲームというのは、小説などを読まないような人たちにも、より視覚的にメッセージを、問題を訴えかけることの出来るメディアだと思います。むしろ物語なんだから、何らかの問題を提起しなきゃ面白くない。
でも、問題提起の後に、自分はこう思うだとか、そういう結論をちゃんと明示して欲しかったです。
このお話は話が展開しそうになった後、いきなり最後のオチまで飛んじゃって、「この先はこうなるかもしれないんだぞ、さあどうする!?」とバッドケースを突きつけただけで終わっちゃった。
これが、わたしが”振り逃げ”だなといった理由です。


なんというか、問題を提起するだけの、他のメディア媒体でのお話(続き物の特集の一巻目orブログの1エントリとして)ならそれで良いとも思うのですが、完成した物語としてこれじゃ良いとは言えません。

やっぱり、ストーリーとしては、どんなにバッドエンドにしか行き得なくても、どうにかしてグッドエンドに持って行かなきゃ。こう書くととアマちゃんみたいに見えそうですけど、そういうのじゃなくて。見た目はバッドエンドでも、何らかの形でちゃんと救われる そんなのがなくちゃ。
物語のラストは、笑顔しか似合わないと思うんです。ちょっとの苦みがあっても良いからー。「で、結局あのお話って何だっけ?」になっちゃったら意味がないんですから。


わたしはてっきり最後の爆発で時空がひずんで、気がついたら目の前に草原が広がってて、ちょうちょでも飛んでるのかと思った。で、手持ちの教科書をみると内容が若干変わってるみたいな。あまりにもありがちか。

*1:説明するのは面倒なので省略。気になる人は原作を読んでね?