

今回も毎日やっているちえラジChatより、今週一週間の配信内容を中心にお届けします。
なお前回のとおり、AIの原稿はこちら。気になる方はご覧ください
今週の配信では、ポッドキャストのYouTube展開に向けた技術的な試行錯誤から、プログラミングにおける「作らない」美学、さらにはeスポーツを通じた地域活性化や、「ゲーム」が持つ意外な教育・社会的役割まで、幅広いテーマについて深く掘り下げてきました。
月曜日:ポッドキャストのYouTube版をどう作るか
月曜日は、まちのえんがわキャストのYouTube版動画をどうするかについて話しました。
これまで「まちのえんがわキャスト」では、静止画に音声を乗せるだけのシンプルな形式を採用してきましたが、今後の展開を考えるともう少し工夫が欲しいところです 。しかし、ゲストの方に動画出演をお願いするのはハードルが高いですし、何より制作の手間を極力減らしたいという本音もあります。
制作ツールについても、以前使っていたClipchampは編集の手間が大きく、かといってここ最近頻繁に使っているCanvaにはオーディオビジュアライザー機能がありません。現在は、別のツールでビジュアライザーを作成し、それをCanvaに合成する方法を検討していますが、果たしてうまくいくかはまだ未知数です 。
結局のところ、ギリギリまで悩み続けそうな気配が漂っていますが、なるべく「ただのカバーアート動画」にはしたくないというこだわりが私の中にあります 。配信時間が迫る中での試行錯誤ですが、自分なりの納得のいく形を模索して、まずは形にしてみようと思っています 。
- ポッドキャストのYouTube動画版をどう作成すべきか、現在進行形で悩んでいる。
- ゲストに顔出しを強いるような、制作ハードルの高い動画化は避けたいと考えている。
- カバーアートのみの静止画動画ではなく、少しでも視覚的な工夫を加えたい意向がある。
火曜日:プログラミングは「作らないこと」が一番
火曜日は、プログラミングにおいても「無駄に作らないこと」が大事だという話をしました。
「ものづくりnoシテン」を聴いて強く共感したのが、「部品の数を減らすことは、ものづくりにおいて非常に有効である」という考え方です 。
これはプログラミングの世界でも全く同じだと私は考えています。コードの行数やモジュールの数を減らすことは、単なる効率化だけでなく、エラーのリスクを減らし、保守性を高めることにつながるからです 。かつての職場でも、私は後輩に「プログラミングとは無駄に作らないことだよ」と説いていました 。
今の時代、AIを使えばいくらでもプログラムを生成できてしまいますが、だからといって安易に自作ツールを増やすのは考えものです 。プログラムを作るということは、将来にわたって保守やアップデートを行う責任を負うということでもあります 。AIで作り直せばいいという意見もありますが、それすらも結局は「保守」と同じ手間を伴うのではないかと感じています 。
自分自身も、AIを使っていろいろなツールを作っているので、「作らないことが大事」と言いながら作っているではないか、という面はあります。本当に既存のツールで済むなら、できるだけ既存のものを使ったほうがいいという考えは変わっていません。
特に怖いのは、作ったことで既存の手順に戻れなくなることです。一度自作ツールを前提にしてしまうと、次もまた作るしかなくなります。テストも必要ですし、想定外のケースも考えなければいけません。だから、自分は今でも「プログラミングとは無駄に作らないこと」だと思っています。作る前に、本当に作る必要があるのかを考える姿勢は、AI時代だからこそより重要になっている気がします。
- 最も良いプログラミングの方法は「無駄に作らないこと」であるという持論を展開した。
- AIで簡単にコードが生成できる現代でも、安易にツールを自作すべきではないと考えている。
- 既存ツールで代用できるのであれば、それを使うのが最も賢明な選択である。
水曜日:SBCast.最終回と、ゲームが地域にもたらすもの
水曜日は、「SBCast.」の最終回として、岩手eスポーツ協会の遠藤徹也さんにお話を伺った回の振り返りをしました 。
岩手eスポーツ協会の話を聞いて印象的だったのは、eスポーツが単なる競技ではなく、地域や自治体との関わりの中で使われていることでした。全国にはいろいろなeスポーツ協会がありますが、すべてが地域連携や福祉的な活動に重きを置いているわけではなさそうです。その中で岩手eスポーツ協会は、自治体との協力や高齢者向けイベントなど、地域に近い活動をしているように感じました。
自分自身、福島県の泉崎村や須賀川市でのeスポーツイベントについても取材したことがあります。そうした経験からも、自治体とゲームは決して水と油ではないのだなと感じています。
むしろ、ゲームをきっかけに子どもが外に出たり、高齢者が地域の場に参加したりする可能性がある。地域活動の中でゲームから距離を置いている人がいる一方で、自治体の側では意外とゲームを活用し始めているというギャップも気になりました。
また、ゲームは学びの入り口にもなり得ると思っています。ゲームを楽しむには、文字を読む力、物語を理解する力、世界観を把握する力、操作を覚える力など、いろいろな力が必要です。プログラミングをしなくても、ゲームを通じてコンピューターの操作感覚やUIへの理解が育つこともあります。
私は、こうしたゲームのポジティブな側面をもっと広め、普段ゲームに馴染みのない地域の大人たちを巻き込んでいきたいと考えています 。遊びが学びや活力に変わる瞬間を、これからも「まちのえんがわキャスト」を通じて発信し続けたいと強く思っています 。
- 岩手eスポーツ協会の遠藤氏との対談を通じ、地域に根ざしたeスポーツの形を振り返った。
- 「ゲームと自治体」は一見相性が悪そうだが、実際には地域課題の解決に役立っている。
- 遊びに触れる機会の少ない地域の大人たちに、ゲームの持つ可能性を伝えていきたい。
木曜日:声の配信で気をつけたい「こそあど言葉」の落とし穴
木曜日は、配信者としての言葉遣い、特に「これ・それ・あれ・どれ」といった指示語(こそあど言葉)について反省しました 。
「これ」「それ」「あれ」「どれ」といった指示語は、話している側にとってはとても便利です。言葉を短くできますし、自分の中でなんとなく指しているものがあれば、そのまま話せてしまいます。
でも、ポッドキャストでは聞いている人と話している人の見えているものが違います。ビデオポッドキャストであっても、聞き手が画面を見ているとは限りません。家事をしながら、移動しながら、別の作業をしながら聞いている人もいます。そう考えると、「これを見てください」と言われても、聞き手には何のことかわからない場面が出てきます。
この考えに至った背景には、数年前に視覚障害の方から伺ったお話があります 。オンライン会議の普及で「資料のここ」といった表現が使いづらくなり、結果として言葉による説明が丁寧になったことで助かっている、という意見を聞いて衝撃を受けました 。
指示語は「お互いに同じものが見えている」という感覚に支えられた言葉です 。多様な環境で聴いてくださるリスナーの皆さんに、より確実で丁寧な情報を届けるために、普段から言葉選びを磨いていかなければならないと、改めて襟を正す思いです 。
- ビデオポッドキャスト等で多用されがちな「こそあど言葉(指示語)」への懸念を表明した。
- 「これを見てください」といった表現は、画面を見ていないリスナーを置き去りにする。
- お互いの視野が共有されていないことを前提とした、丁寧な説明の必要性を強調した。
金曜日:常識と感性を繋ぎ止める、ゲームという名の「錨」
金曜日は、ゲームが持つ「浮世離れを防ぐ」という不思議な効能についてです。
最近オンラインでいろいろな人と話している中で、仕事や外の社会から離れていると、日常の仕組みや生活必需品の成り立ちのような、いわゆる一般常識も抜け落ちてしまうことがあるのだなと感じることがありました。
もちろん、誰かを責めたいわけではありません。家から出る機会が少なかったり、行動範囲が近所だけに限られていたりすると、自分と違う生活や考え方に触れる機会が減ります。その結果、社会の中で当たり前に共有されている感覚から少しずつ離れてしまうことは、誰にでも起こり得るのだと思います。
例えば「軽自動車だから軽油を入れる」といった極端な誤解は、義務教育の欠如ではなく、社会との接触が偏った結果として起こる「感覚の剥離」ではないでしょうか 。私自身も大半を家で過ごしている身として、この「常識の忘却」は他人事ではないという恐怖を感じています 。
そこでふと思ったのが、ゲームの存在です。ゲームの世界はファンタジーであっても、完全に現実から切り離されているわけではありません。物理法則、社会倫理、道具の使い方、人間関係など、現実に近い要素が土台にあって、その上に少しだけ不思議な要素が乗っています。だからこそ、ゲームを遊ぶことは、現実世界の常識やものの仕組みを思い出すきっかけにもなるのではないかと思いました。
そしてこれは、水曜日に話した「ゲームと学び」にもつながります。楽しいものを本当に楽しむためには、教養や知識が必要になることがあります。
ゲームに限らず、アニメ、映画、読書などもそうですが、楽しさは学びの原動力になります。忙しい大人ほど、遊ぶことや楽しむことを後回しにしがちです。でも、楽しむ気持ちを失うと、社会との接点や常識感覚まで少しずつ薄れてしまうのかもしれません。
だからこそ、自分はゲームや遊びを、単なる娯楽ではなく、人が社会とつながり続けるための大事な要素として見ていきたいと思いました。
- 社会との接点が薄れることで、日常品の仕組みや社会倫理への感覚が鈍ることがある。
- ゲームは現実に基づいたルールや物理法則を持つため、常識を繋ぎ止める役割を果たし得る。
- 大人が新しいことを学ぶ意欲の源泉は、多くの場合「楽しいこと」から生まれる.
- 忙しい大人こそ「楽しむこと」を忘れず、遊びを通じて教養や感性を維持すべきである。
まとめ
今週は、動画制作、プログラミング、eスポーツ、言葉づかい、ゲームと常識という、一見ばらばらな話題を扱いました。ただ振り返ってみると、どの話にも「相手にどう届くか」「それを続けるための負担はどうか」「人が社会とつながるには何が必要か」という問いがありました。
まちのえんがわキャストのYouTube版を作るにしても、見栄えをよくするだけでなく、出演者のハードルや自分の作業負担を考える必要があります。プログラムを作るにしても、便利さだけでなく保守の負担を考える必要があります。ポッドキャストで話すにしても、自分に見えているものが相手にも見えているとは限らないと考える必要があります。
ゲームについても同じです。ゲームはただの遊びではなく、人が外に出るきっかけになったり、学びの動機になったり、常識を保つ支えになったりする可能性があります。地域活動においても、ゲームや遊びをもっと自然に扱えるようになれば、関われる人の幅は広がるのではないかと思います。
SBCast.が終わり、まちのえんがわキャストへ移っていくこのタイミングで、あらためて「どうすれば人に届くのか」「どうすれば無理なく続けられるのか」を考える週になりました。これからも、自分自身が試行錯誤しながら、地域活動やコミュニティ活動の入り口を少しでも広げていきたいです。
AIまとめ考
今回はここ最近に比べてChatGPTの内容を大めに。
Geminiが割と文書のキーワードを膨らませてほかを捨ててくるのに対してChatGPTはいろいろな方面の内容をまんべんなく拾ってきます。たまに「ここは飛ばしてほしくなかった」というようなところをGeminiが的確にすっ飛ばしてくることがあるため、そのあたりはChatGPTの内容を加えて上手く加工する必要があるという感じがします。