高見知英のかいはつにっし(β)

高見知英のアプリケーション開発日誌 のほか、地域活動などの活動報告ブログ。

「当事者性」と「遊び心」から考える、暮らしと地域とテクノロジーの交差点 ちえラジChat 7月第三週のまとめ

ChatGPT作今週のグラレコ

今回も毎日やっているちえラジChatより、今週一週間の配信内容を中心にお届けします。

なお前回のとおり、AIの原稿はこちら。気になる方はご覧ください

www.notion.so

今週は、「当事者性」という言葉について考えたことに始まり、プログラミングでの大きな進捗、そして地域活動や日々の暮らしの中での思索に至るまで、多様なテーマでお話ししました。

それぞれのテーマは独立しているようで、根底では繋がっているように感じています。

月曜日:『当事者性』という言葉の重さ

月曜日は「当事者性」というキーワードについての考察でした。

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いろんな現場やSBCオープンマイクなどの番組で「当事者性を持ってもらいたい」と言われることはよくありますが、それって本当に現実的なのかと疑問を持ちました。

自分がすべての事象に当事者性を持つのは不可能で、情報過多になればむしろ疲弊してしまうんじゃないかという懸念です。

SBCast.の活動でも、これまで200団体近くを紹介してきた中で、「知ってほしい」という想いはどの団体にも共通しています。

けれど、それらすべてを覚えるなんて到底無理。

だからこそ、「当事者性を持つ」以外のアプローチや伝え方が必要なのではないかというのが、私の最近の感覚です。

まだその答えは見えていません。でも、「知ってほしい」や「当事者性を持ってほしい」という言葉に頼りきらず、もっと違った形での共感や関心の引き方を模索していく必要性を強く感じました。

  • 「当事者性」は災害対策や報道の文脈で頻繁に言及される。「自分事として考えることは大事」と認めつつも、筆者は「全てのこと、森羅万象全てのことについて当事者性を持つって言ったら、それって果たして人間ができることなんですかね?」と疑問を投げかけている。
  • これらの要求が積み重なると、個人が「容量オーバーして燃え尽きてしま」ったり、「タガが外れてしまって逆にそれぞれの団体に害することとか、それぞれの当事者に何かしら加害的なこと、攻撃的なことをしてしまったり」するリスクがあると警鐘を鳴らしている。
  • 筆者は、「当事者性を持ってもらうとか、それぞれの団体について知ってもらうとか軽々しく言うって本当にいいのかな?」と問いかけ、「そういう軸とは違う形で何かアプローチをする必要がある」と考えているが、具体的な解決策は模索中である。

火曜日:Web版ツール開発とAI活用の教訓

火曜日は、ポッドキャスト用のBGM設定ツールのWeb版がついに稼働したという話。

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もともとPythonでローカル実行していたこのツールを、Chromebook環境でも使えるようにWebに移植。Azure App ServiceにDockerコンテナごと展開するという形で対応しました。

この開発過程では、ChatGPTの助けを借りながら何度も試行錯誤を繰り返しました。

最初提案された「ZIPデプロイ」という手法がうまくいかず、結局コンテナごとアップロードする方法に落ち着いたのですが、ここにたどり着くまでが長かった。

AIの回答が正確でも、こちらの質問の仕方次第で大きく結果が変わるということを痛感しました。

今回の経験から、「AIを活用するには、人間側の判断力と目的の明確さが重要だ」と改めて思いました。

どの段階で方針を変えるかの見極めも人間次第です。

やはりAIがあるからといってプログラマーが不要になるわけではなく、むしろ今後は人間の判断力がより問われる時代になっていくのではないかと思います。

この経験は、Zennにも技術記事としてまとめています。

zenn.dev

  • パソコン上のPythonプログラムとして運用されていたツールをWeb版に移植し、MicrosoftのAzure App Service上にDockerコンテナとしてデプロイした。これは筆者が岩手県普代村で活動する際の作業継続のため。
  • 最も重要な教訓は、「本当にChatGPTに質問をするときはこちらに軸が本当にしっかりしてないと難しい」という点。複数のデプロイ方法を試す中で、誤ったアプローチに固執し、多くの時間を費やした反省が述べられている。
  • 「こちらが本当にこのやり方ダメだっていう判断をなるべく早めにしなければいけない」ことの重要性を強調。

水曜日:『発見』と『Learning by Doing』の価値

水曜日は、SBCast. No.146の振り返りとして、インパクトラボの上田隼也さんとの対談を紹介しました。

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特に印象的だったのは「発見を大切にする」という考え方。AIやメタバースなど新しい技術を積極的に活用している団体で、その柔軟さと実行力には正直驚かされました。

「learning by doing(やりながら学ぶ)」というキーワードも非常に印象的でした。

これは自分の姿勢にも通じるもので、知識を詰め込む前にまず手を動かしてみる。そうすることで本当に自分のものになるし、新たな発見にもつながる。

まさに現代の学びにとって重要な姿勢ではないかと感じました。

最近は自分でもAIを活用して音声概要をまとめるなど、新しい試みにも取り組んでいます。

リスナーにとっても情報取得のハードルが下がるよう、こうした工夫をどんどん取り入れていきたいですね。

SBCast.のような長尺コンテンツだからこそ、多様な受け取り方ができる仕組みが重要だと思います。

  • 発見: インパクトラボはAIを「いかに良い発見をするために使うか」を主軸に活動しており、筆者自身もAIが「自分の行動の振り返りですら良い発見につながる」ことに驚いている。AIの「発見」を重視する活用法が、他の多くのAI利用例ではあまり表に出てこないことへの筆者の「モヤモヤ」を解消した。
  • Learning by doing (座学よりもまずは行動する): 「まずは使って慣れて、その次にさらに学べばもっと上を目指せるようになるよ」という考え方。AIなど現代のテクノロジーは特にこのアプローチが重要であると認識している。例えばAIは「言葉を書くのに必要なスキルって日本語をちゃんと紡ぐことしかない」が、仕組みを学ぶことで「もっといい使い方ができるようになる」。
    • この「learning by doing」の考え方は、テクノロジーだけでなく「全ての活動において大事なんじゃないかな」と示唆している。
    • 長いポッドキャストの聴取を補助するため、AIによる文字起こし要約やNotebookLMによる音声概要の提供など、情報摂取の多様な仕組み化を試みている。

木曜日:大人が忘れた「遊び心」の話

木曜日は「大人はなぜ遊び心を失うのか?」というテーマで、自分がよく利用するサイゼリヤでの観察から考えたことを語りました。

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夜7時を過ぎても仕事をしている人を見て、「この人、ちゃんと遊んでるのかな?」とふと思ったのがきっかけです。

もちろん、見えているのはその人の一面だけ。

でも、「遊ぶ大人」と「遊ばない大人」の違いが極端に感じられたんです。

特に、テレビゲームのような遊びに否定的な大人がいると、その周囲の子どもたちもテレビゲームに消極的になる。その現象は身近な活動の中でも目にしています。

遊びは子どもだけのものではありません。むしろ大人が遊び楽しむ姿を見せることが、子どもにとっての自由や創造性のきっかけになる。

だからこそ「遊びを忘れた大人」がいるとしたら、その人にどうアプローチするか、そこから考えなければならないと感じました。

  • サイゼリヤで夜遅くまで仕事をする大人を見て、「あれは本当にご自身の意思でやってるのかな」と問いかけている。一方で、遊びを楽しむ大人もいることを認めつつも、遊びを「完全に失ってるんじゃないかと取れるような大人」の存在を指摘。
  • 大人が遊びを忘れることが、「周りの子どももその影響を受けて遊びに制約を受けちゃうんじゃないのかな。遊び方が制限されちゃうんじゃないのかな」という可能性を危惧している。
  • 筆者は、大人がゲームや遊びに「寛容になれていないところが原因」であり、「遊びを完全に忘れてしまったという大人がいるのだとしたらそこをどうにかすることから始めないと結局それ以外の大人も、あるいは子どもも遊びに触れづらくなっちゃう」と問題提起している。

金曜日:なぜ横浜『に』イベントが必要なのか

金曜日は「地域」、そして「横浜にイベントを作らなければならない理由」でした。

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横浜は東京に近いため、多くのイベントが東京で開催され、横浜まで来ることは少ないのが現状です。

東京は「行こうと思えば行ける」距離ですが、それゆえに強い目的意識がある人しか足を運びません。その結果、横浜に住む多くの人々が、新しい技術や面白いものに触れる「体験機会の損失」を被っているのではないかと感じています。

これは、東京から遠い地域であれば「地元でやろう」という機運が生まれるのに対し、横浜はその近さゆえにモチベーションが生まれにくいという、独特の課題だと思っています。

自分の住む地域もいわゆる「陸の孤島」。交通の便も良くない場所だからこそ、横浜市内でさえちょっとした外出にそれなりのエネルギーが必要になります。

行こうと思えば遠くまででも行けるけど、ちょっとそこまでという気持ちをくじくにはちょうど良い距離が、陸の孤島にはあるし、横浜自体にもひょっとしたらある。

特にIT系のイベントは、東京では多いものの横浜では少ない。それは「ネットで完結できる」という先入観もあるかもしれませんが、やはりリアルの場での体験や出会いには価値がある。だからこそ、自分が動かなければと強く思っています。

ダンスや音楽のように、横浜でも楽しめる場がIT分野にも増えれば、新たな体験が横浜の人々を変え、街全体が変わっていくきっかけになると思っています。

  • 横浜は東京に近く、電車で1時間程度の距離にあるため、IT系の勉強会や展示会などが東京で開催されていれば、横浜でわざわざ開催するモチベーションが低い。
    • この結果、「行動力のある人」や「絶対行きたい人」は東京へ行ってしまい、「行動力のない人」は「そういうイベントに出会う機会がなくなっちゃう」。
  • 筆者自身の居住地である「横浜の陸の孤島」岡村のような場所では、交通の便が悪く(バス移動が必須、終バスが早い)、遠出には「気合がいる」。これは東京への移動にも当てはまる。
    • この状況が「体験機会の損失」につながっていると指摘。群馬のような遠隔地とは異なり、横浜は東京に近すぎるがゆえに地元でのイベント開催モチベーションが生まれにくい。
  • 他の分野(ダンス、音楽など)では横浜でもイベントが多い一方、IT分野は「インターネットで触れられちゃいますからね」という理由で、濃密な体験を求める層が少ないため、わざわざ横浜で開かなくてもよいとされがち。
  • 筆者は、「その分野に関心がないという人に向けて何かを体験するという機会を割と身近に用意する」ことの重要性を強調し、それによって「横浜って変わってくるんじゃないかな」という期待を表明している。

まとめ

今週は長く格闘していたポッドキャストのBGM設定ツールが、ついにウェブ上で動いたのが嬉しかったできごとでした。ChatGPTに助けを求めつつも、最後は自分の判断力がモノを言うんだなと痛感しました。

そんな技術的な話とは別に、頭の中では「当事者性」という言葉の重さについても考えていました。

何にでも関わろうとすると疲れてしまう。大人が「遊び心」を忘れてしまうというのも、どこか通じる話なのかもしれません。

だからこそ、もっと身近な場所での体験が大事なんだと改めて感じています。

特に横浜は、東京に近いがゆえにとくにIT系のイベントが少なく、「体験機会」を失っているのが本当にもったいない。地元で気軽に新しい技術に触れられる場を作る。それが今、自分がやるべきことなんだと強く思わされた一週間でした。

  • 「当事者性を持つ」や「自分事として考える」という言葉の重要性を認めつつも、あらゆる物事に当事者性を持つのは人間にとって不可能ではないかと疑問を呈している。
  • ChatGPTを使ってプログラムを開発する際には、質問者側の「軸」(明確な方向性や判断基準)が非常に重要であることを痛感した。
  • うまくいかない方法に固執せず、早めに別の糸口を探す判断力の重要性を反省点として挙げている。
  • 大人が遊び心を失うことで、周りの子どもたちの遊びが制限されたり、特定の遊び(例:テレビゲーム)に対して否定的な感情を持つことで子どもが近づきにくくなる状況を懸念している。
  • 横浜が東京に近い(電車で約1時間)がゆえに、行動力のある人は東京のイベントに行ってしまい、横浜でのイベント開催のモチベーションが生まれにくいと分析している。

AIまとめ考

今回は結構いい感じにGeminiも文章を書いてくれたので、タイトルや一部の日の文書などGeminiの内容も交えました。

かなり改変している部分もあるので冒頭にある問答メモのリンクを見ると意外と驚くところもあるかもしれません。

またまとめの文章やタイトルなどいつもブログの文面に書かれていたはずの内容が書かれていなかったりするということも多く、AIの不確実性というのがよりはっきりと見えた回でもありました。

これらについては少しずつ文章を見ながらプロンプトの方も調整した方が良いのかもしれません。