高見知英のかいはつにっし(β)

高見知英のアプリケーション開発日誌 のほか、地域活動などの活動報告ブログ。

ゲームじゃないと見られない景色

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今日はこの辺から。

ゲームじゃないと見られない景色 - ちえラジ Chat | stand.fm

最近他のゲームの合間に、あつまれどうぶつの森をやるようになりました。

個人的には「現実と同じ時間が流れる」というタイプのゲーム*1に苦手意識を感じてたのですが、やれば案外ハマるもので。

現実で季節の移ろいを感じにくくなった昨今、ここまではっきりと季節の移ろいや日々のイベントを感じられることもなかったなあ と思っています。

それは別に今が外出しにくいから ということではなく、普段から。

とくに横浜の住宅街のような、都会というほどでもなく、田舎というほどでもない場所では、窓の外を見ても家ばかり、そもそも季節の変化を感じる機会というものはあまりなかったのです。

虫に弱いのでこの季節はあまり外に出ることもできませんでしたし、交通の便の悪さ故、どこかの町に遊びに出かけるということもなかったので。

今「ゲームで体験できて、現実で体験できない」もの

ところで今の日本において、あつまれどうぶつの森に限らず、「ゲームでは体験できるけど、現実では体験できない」ものは結構あるのではないか と思うのです。

あつまれどうぶつの森だけ見ても、たぶん今の日本において、ここまで四季がはっきりする地方はそんなにないんじゃないでしょうか。

そのほかにも、戦争や宗教、昔の考え方など、現代の今、ゲームの空間でないと体験できないことはとても多い。

ゲームは気持ちを届けやすいメディアではないか

そして、ゲームはビジュアルがあり、ある程度自分の視点で操作して進めていく。

だからこそ、ほかのメディアだけではいまいちピンとこないものも、ゲームであれば伝えられるのではないかと思っています。

語り手の不足がささやかれる戦争や災害なども、ゲームで疑似体験する場所を作る というのがむしろいいんじゃないか?もちろんそれだけだとイマイチ伝わらないのが、ゲームの難しさですが。

たとえば最近知り合いがYouTubeで実況をやっているGhost of Tsushimaなどを見ると、ただ単に学校のプログラムなどで見せられる戦時中を舞台としたアニメや映画などより、よほど強く戦争というものを体感できるのではないか と思いました(まあレーティングが高すぎて学校では使えないとは思いますが)。

そのように、ただの情報だけでない、なんらかの感情を伝える。それにはゲームは結構いいメディアではないか と、最近感じています。

情報の伝え方という意味でのゲーム。

もちろん課題もあるとは思いますが。もしなにか伝えたいけど伝わりにくい情報があれば、ゲームというアプローチもアリなのではないか と最近思っています。

*1:こちらが9月9日のときにゲーム内も9月9日、実際に一週間ゲームを遊ばなかったらゲーム内でも一週間いなかったことになる