高見知英のかいはつにっし(β)

高見知英のアプリケーション開発日誌 のほか、地域活動などの活動報告ブログ。

説教

id:studiokingyo:20061029のような記事を見ると、ついつい押しかけて何か言ってやりたくなってしまいます。わたしももう歳ですかねえ。そういえば最近腰痛も痛いし、目もたまにかすむし、口も回らないし…一気に老け込んでしまいましたねえ――というと、だれかからおしかりを受けそうですね(なら言うな と)。


さて、詳しくはあちら原文を見ていただければ分かると思いますが――そういうことです。

まあ、結局「人は欲望に正直に生きるべき」と言うことではないかと思います。ソードワールド的に言えば「これであなたも立派な邪教(ファラリス)信者」というわけですが、それで良いんじゃないかな と。まあ、別に本人悪い訳じゃないですものねえ、その辺は三巻でも言われてるとおり*1
ただ、結果相手に不幸を与えるような行為をすると、将来的に自分にかぶってくる。「情けは人のためならず」とも言いますが、まさにその逆バージョンです。人に与えた不幸は、いつしか自分に必ず返ってきます。コメントに書いたことそのままですが、結局そのとおりだと思います。
そうやって考えてると、いつの間にか自分の中によそとは違う法律ができていって、「よその法律は時に破っても良いかもしれないが、自分の中の法律は破ってはならないもの」と言うことになると思うのです。
それを分かった上でも自分にウソをついてしまうことはあるでしょう。怖くてどうしようもないときもあるし、経験上、立場上、法律を破ることが正しいときだっていくらでもあると思います。そのときは自分を嫌ってしまっていい、嫌いな自分にならないために、今度から努力するようになれるでしょう。


さて、id:studiokingyoさんはプログラミングをする ということで、少しでもプログラミングの遺伝子がある人に話すときは、内容がプログラミング臭くなってしまう というのがわたしの悪い癖です。

プログラミングとおなじです、例外が出るんなら、それをちゃんと分析して、正常系に影響が出ないようにcatchしてやればいい。
学生時代はたしかに、ほかにくらべると例外は少ないかもしれませんが、これからさき、例外の数はたくさん増えていくと思います。紹介されている本のようなこと(よく知りませんが)もそうですし、そんなことでなくてもあなたの信念を曲げかねない例外はいくつもやってくるでしょう。
そこをスクリプト言語のように柔軟に、全ての例外をキャッチしていくのです。そして常に正常系が回るようにしていければ、きっと楽しくやっていけるでしょう。

ということです。そろそろ書くのが面倒になってきたのでまるまる引用で(^^ゞ
結局、正常系をしっかりとしたポリシーで回しつつ、イベントによって出てくる例外に適切に対処する という流れなんですよね。だから、プログラミングも生きることも、もしかしたらなんだって、やるべきコトってほとんどおなじなんじゃないかなと思います。プログラミング言語ひとつ極めれば、未知の言語もある程度できるようになる ってのとおなじで。
正常系のためのポリシーを作るためにも自分をしっかりしておくことは大切なんです。人から教えられたポリシーは、どうせいつかぼろが出てしまうし、自分の真意にあったものじゃないからいつか結局「破ってもいいじゃん」になってしまう。自分が決めたポリシーなら、例外に出くわしても「これくらいのことをやってもポリシーには違反しないな」って自分で考えて行動できるし、「こんなときはポリシーを破ってもこれをするべきだな」って臨機応変に対応できる。だから自分の中の法律――ポリシーと言うべきなのかな――をしっかり持つことが大事 ということです。
最終的には自分の中の法律は「破ってはならない」ではなく「破ることが(自分には)できない」と言うことになるかもしれませんね。


id:hnwpkidsさんが昨日メッセンジャーで言っていましたが、自分の中の法律をしっかりさせるのは、中学生やそこらではまだまだ難しいかもしれません。けど、早いほうがいいのです。そうすればそのぶん、割と安定した状況の上で、楽しいことを思う存分できるようになると思いますから。
会社に入ると、それだけでなくこの先結婚したり、子どもができたりすると、「幸せ」のカタチってどんどん変容するものだと思うんです。自分がしっかりする前の「幸せ」タイプは、ひょっとしたらもう二度と、一生つかめないタイプのものかもしれません*2
ですから一番最初(?)のタイプの「幸せ」がつかめる今のうちに、ぜひ安定した状況まで言ってもらえれば と思うのです。もちろん、そうやっていわゆる「大人」がぎゃあぎゃあお説教たれるのは、「子ども」にとっては迷惑以外の何ものでもないのかもしれませんが。


と言うことで、本日曜の戯れ言でしたm(__)m



そういえばふとid:samonaさんは――と思っていってみたら、id:tomo_kさんと同い年だってコトに気づく。おおいなあ、20代。


あともう一つついでに。こうやって書いているうちにさりげなくかなりの人にIDトラックバックを送っています、
こう言うのがとことん好きになってきた今日この頃です(^^ゞ ついでにid:Tenさんにも送っておきますか(id:yurliさんにはまあ、この間同じようなことを言ったしいいでしょう)。

*1:まあ、実際日本では、信教によって考えが変わるということはちょっと信じがたい… ということはありますが

*2:それに、その先の幸せがつかめることは約束されてないわけですしね。「死を想え」とも言うとおり、今まで不幸続きでも、幸せ続きでも、ひょっとしたら明日デスノートに名前を書かれたりするかもしれませんしね