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高見知英のかいはつにっし(β)

高見知英のアプリケーション開発日誌 のほか、地域活動などの活動報告ブログ。

知識の怖さ

雑記

以前TwitterでつぶやいていたらやけにRTされていたのでひとつ。

従来は、Web検索といえば探したい言葉を半角スペースで区切って入力するのが基本でした。ただ、最近の検索エンジンは、「の」や「を」などの助詞は、必要に応じて自動的に削除してくれるので、無理に助詞を省く必要はありません*1

元ツイートを見て、以前パソコン教室でWeb検索の方法を教えるときに、「はて、ここで単語を半角スペースで区切って入れるように言うのは、果たして良いことなのかどうか」と思ったことを思い出し、つい言及していました。

知識を他の人に伝えるという恐怖

こういう形でパソコン教室をやっていて思うのは、知識を他人に教えたり、伝えたりするのはとても怖いことだな ということ。 自分の知っている知識がいつの間にか役に立たなくなっていたり、非常識になっていたりしないか、考えてから話をしないといけない。

パソコンやスマートフォン等、IT技術については特にその傾向が強く、知識や情報の陳腐化が早い。うっかり自分の中の常識を伝えようとしたら、その常識がもはや古いものになっていた なんてこともある。それは自分と同じ、間違った常識を持つ人を増やしてしまう なんていうことに繋がる。

常に自分の知識を疑うこと

冒頭に書いたパソコン教室での一幕を通して、教えるというのは、いつも自分の知識が間違っているかもしれないという、ある意味の恐怖と戦わなければいけないということだなと思いました。 多分教える相手が誰であっても、どのような内容であっても同じ。自分の時のような小規模教室であっても、商業的な講義・講演であっても、学校の授業であっても*2

その危険性を少しでも緩和させるためにできることは、まず自分の知識に常に疑問を持つこと。自分の持っている知識はいつの間にかレガシーなものになっていないか、このことを教えることで、相手が同じ間違いを犯してしまう危険性はないか 情報を出力するときには考えないといけないな と思いました。

別に教えるときだけとは限らない

とくに今は、TwitterFacebookなど、人に教える以外でも、不特定多数に情報を出力する機会はたくさんある。 だからこそ、情報を発信することの危険性や恐怖は、誰でも考えておく必要があるのかもしれない と思います。

「自分はこうしている」だとかいう話なら別に良いと思いますが、「これが今の常識」とか「こうするのが一般的」みたいなことをいうときは、本当にそうなのか考えないといけないな と思うようになりました*3

今回のような検索のしかたであれば、別に「助詞を取り払おうが取り払うまいがどちらにせよちゃんと検索できる」し、たいていの場合は問題ありません。ただ、自分の持っている知識を世間の常識みたいに思っていると、いつか足を掬われてしまうこともあるかもしれない だから知識を扱うときはそれなりの注意が必要だな と、思います。

*1:もちろん、単語の順番や言い回しなどによって検索結果が変わることはあるので、何の工夫も要らないというわけではないですが

*2:だから学校の先生などという職業は、とても勇気の要る職業なんだろうなあ とも同時に思いました。教える情報の量がうちのような教室とは比べものにならないほど多いのですから

*3:そう思っているのもあり、最近は「一般的」だとか「普通は…」だとかいう表現はなるべくしないようにしていますが。TwitterFacebookだと、自分もうっかりこういう発言をしていたりするかも