高見知英のかいはつにっし(β)

高見知英のアプリケーション開発日誌 のほか、地域活動などの活動報告ブログ。

「死」を思う

あの地震があって以来、いままでよりちょっと死というものを意識するようになった。自分の身の回りではそんな大きな被害はなかったとはいえ、いままで体験したことのなかった帰宅困難状態というのが結構心に響いているのかも。
今回はそれほど大きな問題なかったとはいえ、横浜だって関東大震災の危険はあるわけだし(今回の地震により可能性が上がった というのとは関係なく)、今回の地震でも横浜の一部ビルの外壁や床が壊れるなど多少の問題は起こっている。
いつ自分も同じ被害に遭ったり、死んでしまってもまったくおかしくはない。そう考えるのはさすがにちょっと怖いし、不安で時々何も考えられなくなるときはある。

とはいえ、どんなに気を付けていても、人間死ぬときは死ぬ。いつ死ぬかなんてだれにもわからない。だからあんまり気にしてもしょうがないかな と思っています。
それよりも、人に迷惑をかけすぎない範囲で今出来る最大のことをやっていった方がいい。その中で出来るだけ無駄を省き節約しながら行動する というのが、いまのわたしに出来ることかな と思っています。


もちろん、万が一の状況が起きやすい状況になっているのは確か。地震の影響だったり、交通の乱れだったり、不安定な電力だったり。警戒はいつも以上にしておいた方がいい。たとえば不必要に遠出しないとか、常備品をちょっとくらい多くするとか、停電に備えるとか。
コミュニティの活動もいままでどおり進めていきますが、いままで以上に電力や万が一の事態に注意を払っていければいいな と思います。
まあ、とはいえ注意を払って設備に投資できるようなパワーもないのですが(これからは移動勉強会だ!と喜び勇んで買ったバッテリーもプロジェクタには使えないかもしれませんし)。


「(人生が)ちょっとぐらいつらくても、人より短くても、仕方がないさ。大切なのは長さじゃない。中身だ」以前読んだ本であった言葉ですが、個人的にすごく気に入ってる言葉です。
地震などいろいろな不安はありますが、変に萎縮せずやりたいことは今ある手段でやっていければいいかなあと。