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高見知英のかいはつにっし(β)

高見知英のアプリケーション開発日誌 のほか、地域活動などの活動報告ブログ。

戦う理由を知らされず、戦っていた日々

id:Tnzkさんの記事を読んでいて、なんだか意見がまとまりそうだったので書いてみました。
以前にも書いたように、会社の帰り、よく塾帰りの子供を見かけます。まあ、引っ越して、帰宅のルートが変わってからはあんまり見かけなくはなりましたけど。
彼らのうち、ここで踏ん張る(勉強する)意味――表題で言う”戦う意味”を知ってるのは、どれくらいいるんだろうなあ なんて、ふと思ったのです。
考えてみれば、わたしたちいわゆる”社会人”は、たぶんそれぞれ踏ん張る理由ってものがわかってると思います。
それは先輩から教えられたりすることもあるでしょうし、自分で気づくことだってあるでしょう。なにより学校は社会にはいるためのステップな訳ですから、学校で教わる可能性だって十分にある。
でも、学校の勉強はどうでしょう?たぶん物心ついて(まあ、実際はそんなオーバーじゃないでしょうが(^_^;))まもなく学校に入り、勉強する理由については何も知らされないまま、勉強している――戦っているんだろうなあ なんて、子供たちを見ていて思いました。


まあ、彼らは彼らで一緒に勉強した友達と楽しそうに会話をしていましたが・・・。先に帰る友達を見送ったあとの気持ちを考えてみると。なんかちがうなあ、というような、何ともいえない違和感を感じました。
感じたからと言って何ができるとかいうことはありませんが。なんとかみんなが、今いる状況と、今ここにいる理由をわかった上で戦える方法はないのかな・・・。