高見知英のかいはつにっし(β)

高見知英のアプリケーション開発日誌 のほか、地域活動などの活動報告ブログ。

できるけどやらない

とてもごもっともな話です。いままでこれを問題視しなかった自分が情けないくらい。

上でも言われているとおり、これは「やろうとおもえばできるけど、やらない」という考え自体をなくすことになります。
「できないからやらない」という思考で止まっていると言うことは、つまり「できるようならやっちゃおう」ということになる。
これは極端な話、放火事件だとか、傷害事件とかでもそうなんじゃないでしょうか。「法律だとかなんだとか、いろいろ規制かかってるから やらない」という考えでいると、ちょっとしたきっかけだけで「やらない」が「やってもかまわない」になってしまう。
だからどうすればいいかとか、わたしには即断することはできませんが、こういう法規制だとか物理的な規制の案はぽんぽん出てくるのに、心理的な規制だとか、そういう話がほとんどあがってこないのはなんででしょうか?


ついでに言うと、こういう技術は所詮「作った側の想定の範囲内でしか機能しない」という決定的な弱点があります。つまり、いつかは破られる可能性もあるし、抜け道だっていくらでもあります*1
そこに「倫理観」という枷をなくしてしまうわけですから、そうなった先にどのような事態が待っているかは… ま、言うまでもないことですね。


と、こんなことを二日遅れてクレヨンしんちゃんを見ながら書いてたりして。




こんなところでこんなことを書くのはあまりにも問題でしょうから、本当は書かないほうがいいのかもしれませんが…。
未成年がたばこを吸おうが何しようが、わたしとしては特に関心がないです。そこまでして早死にしたい人をわたしはどうこうする気はありません。
わたしの不勉強なせいもありますが、有害な副流煙なら赤ちゃんの頃から吸わされてるわけだし、今更害をどうこう言っても仕方ないでしょう。もちろん自ら害と分かっていて吸おうとするその行為自体はいいとは言えませんが、分かっててやってるんならいいやと思ってしまいます。もちろんそれ相応の覚悟なんてしてないのかもしれませんが。

*1:たばこの話に限らず、あちらの文章を読んでいて思いつく節はいくらでもあるはずです。さすがに個々についての言及はできませんが。