高見知英のかいはつにっし(β)

高見知英のアプリケーション開発日誌 のほか、地域活動などの活動報告ブログ。

暴れん坊将軍

今日は録画してあったものを含め、4話の暴れん坊将軍を見ました。わたしは時代劇好きで、NHKの大河ものなどは見ないのですが、こういうのはよく見てます。
時代劇は良いですね、誰も彼もが生き生きしている。現代劇と比べて、脇役もエキストラも元気なんですよね、他に見てるものといえば、水戸黄門とか、八丁堀の七人とかなので、「上の立場から下の立場のものを懲らしめる」タイプのお話が好きなんだと母にはいわれるのですが、今思えばこれが好きで見てるのかもしれません。

まあ、殺陣も好きなんですけどね(^_^;) 水戸黄門などは割とあっさりタッチで立ち回りが終わってしまいますが、こっちは結構長引きますからね、迫力があります。八丁堀の七人は…こっちも七人だし乱戦になりがちで、いまいち調子がつきにくい。


ところで、こういう時代劇、立ち回りの際大体の場合人を切りません。切り方はドラマによって様々で、峰打ちがメインですが、流儀によって峰打ちがないため筋を切って追っ払うとか、そもそも刀剣自体使わないとか、番組ごとにパターンがあります。まあ、下っ端には悪意はないと思うので*1さておき、多くの場合は親玉も切らずにすませます。この暴れん坊将軍の場合は大体部下が切り捨ててしまいますが。
でも、いつもは峰打ちですます彼――上様も、たまには自ら親玉に刃を向ける時もあります。相手が自分に関係ある誰かを手にかけたとか、よほど特別な場合に限りですが。
今思うと、こういう特別なケース以外、自分では一切人を切らないからこそ、切る時がクローズアップされるんですよね、それで、特別な感情表現だって出来る。いつも自分ではとどめを刺さない上様ですが、こんな計算もあるのかな…と、思いました。

*1:親玉に指示されてるだけだろうし