高見知英のかいはつにっし(β)

高見知英のアプリケーション開発日誌 のほか、地域活動などの活動報告ブログ。

秘儀の書物

だいぶ不足があるようなようなので、補足。

TakamiChieさんが、「ヨーロッパの暗黒時代」の話をしてくれました。魔女狩りといって多くの人を虐殺したという話です。魔女は、すくなかったが疑わしい人を殺したというものみたいです。魔女は、魔術をを隠すために暗号を用いて隠した、と聞きました。魔術なんて非現実的ですが、「魔」のように見えた「術」だから、魔術。よく分かりませんが、そういった方法があったって話しでした。

昔の暗号

ヨーロッパの暗黒時代――魔女狩りの時代というのは、ご存知の方も多いかと思います。悪魔と契約を交わしたといわれる――いわゆる魔女と呼ばれる人々を裁くための裁判です。
しかしその実、本当の魔女は裁かれていなかったし*1、裁判と言ってもろくな審判など行われません*2、いわゆる虐殺のような事態になっていたらしい…というお話をしたわけです。

まあ、わたしはそれを言いたかったのではなく、その時代は、いくら(魔術の)研究をしていて処罰されなかったといっても、それを書物に残すことにはとても苦心していたとのことです。あまりストレートに書いてしまうともみ消されてしまいますから。

なので、当時の人々は、面白い暗号を残したとのことです。普通に読むと物語として読むことが出来るが、実はその中に暗号が隠されているという。日本ならば、いろは歌の暗号(google:いろは歌] 参照)や、かごめかごめ([google:かごめかごめ 参照)などに別の文章が隠されている との説がありますが、そのような感じです。
現在パソコンで使われているような公開鍵暗号なんかとは、比べられないほど強固な暗号とは言えないでしょうか?なんといったって、分からない人にはどこに暗号文が潜んでいるのか分からないのですから。

まあ、"かごめかごめの暗号"の話からそんな話をしたのです。

「魔術」や「魔法」について

後半の「魔術」や「魔法」についてですが、わたしはあるともないとも言えない と言うスタンスでいます。見たことがないものは、疑いこそすれ否定し去ることは出来ません。「存在することを証明するのはたやすいが、存在しないことを証明するのは困難だ」と言いますが、まさにその通りですね。
しかしわたしは、これらは存在する とは思っています。
これらは「魔」と言う字が示すとおり、不可思議かつ一見法則の見いだせないものではありますが、「術」「法」という字が示すとおり、ちゃんと決まりがある「術」なのです。つまり、その時代その時代の科学では理解できない特殊な知識体系ではあっても、ちゃんとした法則性が存在し、制御することが可能な存在である と、わたしは思っています*3
だから、今も魔法は存在していると思います。今だって、人間の体の仕組み、地球のこと、宇宙のこと、知っているようで知らないことはまだまだたくさんあります。それら科学が調査できていない分野を発掘して使っているのが、「魔術」や「魔法」であるのではないか?と言う話でした。


id:yurliさんの考えることは実に多彩で、あまりにも多くのことに興味を持っています。あのくらいの年でこれだけいろいろ考えている というのは良いことだなぁ…と、わたしは感心しています。
ただ、それについて何か返信するにしても、「そうですか」だけじゃあ申し訳ありません。ですからついつい、なにか人生論っぽいことに話を持って行けないだろうか?と、考えてしまうんですよね。
わたしも魔法や魔術の話だけでは終わらせたくありませんので、「今の知識だけで無理に判断しようとしてはいけない」と、結んでみました。まあ、今考えるともっともな話です、今の知識が完全でない以上、魔法が存在しないと証明することは不可能です。
すべて「魔法のようなもの」で片づけることもまたできませんが、とりあえず「自分の知っている知識は常に不足しているかもしれない」ということを、自覚したうえで行動した方がいい ということですね。

yurliさんと話していると、自分も磨かれるような感じです。やっぱりまだ表現が上手くまとまってなかったり、良く意味が分からないときもありますが、日々成長している そんな感じがします。


関係ないですが、HTMLでは文章に傍点を付けて強調する 等といったことが出来ないんですよね、CSSでもそのようなプロパティは見たことがありません。
日本でしか使わないようなものなのでしょうがないとは思いますが、欲しいですよねえ…。

*1:当時魔術と呼ばれていた技術を研究をしている人は、ほとんど処罰されていないらしい

*2:まあ、魔女と言ったって診断するための材料はないわけで…。ほとんど審判員の決めつけだったようですね

*3:もちろんそれぞれの時代には、その"法則性"が見いだせなかったのでしょうが…、猛獣を飼い慣らす術のようなもので、それは言葉に表せるような代物ではなかったのかもしれませんね