高見知英のかいはつにっし(β)

高見知英のアプリケーション開発日誌 のほか、地域活動などの活動報告ブログ。

うーん?

時代はとっくに、ゲームの外側へと向かっているけれど

 そうなんでしょうか?まあ、ゲーム機のゲームの業界は思いっきりマンネリに陥っている気がしますが(母の購読しているゲーム雑誌を見ても、安易な方法*1で逃げてるゲームが何個あることか)、実際ゲームという範囲で外側へ向かってるという気はしないのですが。

 だいたい、ゲームというのは

遊びごと。遊戯。「―コーナー」

 ということです。ゲームの外側というものはそもそも存在しないのではないでしょうか?
もし、ゲームを"PCやゲームハードで行うコンピュータゲーム"という意味でとるのなら、時代がゲームの外側に向かっているのではないと思います。むしろ外側に行こうとしているというのなら、メーカー・ベンダーが、既存のゲームの外側に行くべきだと勘違いしているだけではないかと思います。まあすべてがそうではありませんが。


 個人的には、ですが、わたしはゲームを一遍の小説のようなものだと思っています。大なり小なりストーリーがあって、それを読み進めながら、小説とはまた違った楽しみを見ていき、そしてあるいは自分に何らかの成長もある。コンピュータゲームというのは、ストーリーを表現する媒体の一つに過ぎないと思うのです。
 小説がいつまで経っても飽きられないように、"ゲーム"もまた飽きられるわけがありません。まあ、媒体がコンピュータでなくなるという可能性は、確かに0ではありませんけれども。

 とりあえず、個人的には今の世界でも、やり方次第でいかようにも楽しみ方はあると思いますよ。少なくとも、わたしと、母は、それで良いと思っています。



 ああそうそう。外側…ですね。
もし、太鼓の達人などの体感系ゲームが外側というのなら、すべてが外側に向かうべきではないでしょう。まあ、わたしはああいうのがあっても良いとは思いますが、そればかりが良いかというと全くそんな気はしません。だって、その短いストーリーだけで、ユーザーは満足できるでしょうか?時々やるぶんには満足できると思いますが、わたしはそれだけでは不満になると思いますね。
 ――という割には太鼓の達人やったことないですけどね、わたし(^_^;)

*1:既に人気のあるアニメなどのゲーム化、恋愛もの etc... まあ、後者のことはよく分かりませんが、そういうのであふれてるところをみると、人気があると認識されてるんでしょう